人気ブログランキング | 話題のタグを見る

しばらくお休みします

しばらくお休みして、これまでの記事のメンテのみを行います。
来年2月頃に再開しますので、また宜しくお願いします。

# by harufe | 2005-09-03 13:46

ヒトラー ~最期の12日間~ DER UNTERGANG (2004/GER)


彼の敵は世界

全てを目撃した秘書が今明かす、衝撃の真実。

【staffs】監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル、原作:ヨアヒム・フェスト(『ヒトラー 最期の12日間』)、トラウドゥル・ユンゲ(『私はヒトラーの秘書だった』)
出演: ブルーノ・ガンツ(アドルフ・ヒトラー)、アレクサンドラ・マリア・ラーラ(トラウドゥル・ユンゲ)、ユリアーネ・ケーラー(エヴァ・ブラウン)、トーマス・クレッチマン(ヘルマン・フェーゲライ)、コリンナ・ハルフォーフ(マグダ・ゲッベルス)、ウルリッヒ・マテス(ヨーゼフ・ゲッベルス)、ハイノ・フェルヒ(アルベルト・シュペーア)、ウルリッヒ・ノエテン(ハインリヒ・ヒムラー)、クリスチャン・ベルケル(シェンク博士)
【prises】第77回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、第17回ヨーロッパ映画賞男優賞(ブルーノ・ガンツ)ノミネート
【my appraise】★★★★+(4 plus per5)
【prot】
 1942年11月下旬、東プロイセンのラステンブルクの司令本部“狼の巣”。10人ほどの若い女性の候補の中から、ユングは、ヒトラー自身の面接を経て、ヒトラーの秘書に選ばれる。
 それから3年、1945年4月20日、ヒトラー56歳の誕生日、ユングは、ベルリンの首相官邸の地下防空壕で、ヒトラーの副官達、そしてヒトラーの愛人エファーと共に、ヒトラー最期の12日間を迎えようとしている。
 57歳の誕生日を迎えるヒトラーは、パーキンソン病の震えが隠せず、融通の利かない妄想的な作戦で副官たちを慄然とさせる…。
【impression】
 砲下の防空壕の中で、人間ヒトラーが、衰え、蒙昧し、最期を迎える姿が描かれている。銃弾や砲火の衝撃音、一瞬にして生命が失われていく映像、頭の底が麻痺するような2時間半、あっという間に過ぎる。20世紀の怪物に人間としての新しい光を当てるにとどまらず、生と死の一線や、真実の意味を問い直している。
 私の中では10年に1つの映画です。必ず劇場で見ることをおすすめします。
【staffs】
 ドイツの映画というと、どうも、安上がりのホラーを想像してしまいますが(日本の映画も外国ではそう思われているかもしれませんが)、この映画はドイツ映画の常識を破るお金をつぎ込んだようです。
 もちろん、主演のブルーノ・ガンツの演技もさることながら、この女優、アレキサンドラ・マリア・ララの抑えた美しさと演技もなかなかのものです。彼女のドイツ語のHPで、久々にドイツ語を読もうと努力する気になりました(もちろん、途中でやめましたが)。」

【medical view】
 ヒトラーが1941~2年頃より、死の瞬間まで、パーキンソン病に苦しんでいたことは、多くの研究者の一致した見解です。映画の中でも描かれている体を低くかがめる姿勢、1秒間に4~5回の左手の震え(ヒトラーが晩年、上の写真のように、右手で左手を押さえているのは、左手の震えを隠すためだそうです)、これらは典型的なパーキンソン病の症状であり、また、同じ作戦に固執し、途中から方針が変えられない融通のなさは、パーキンソン病に現れる精神的特徴である「保続(ほぞく)」という見方をする人もいるようです。
 パーキンソン病は、アルツハイマー病を除けば、神経難病のなかでも、おそらく最も知られており、最も頻度が高い病気です。同じ症状でも、薬の副作用や脳炎の後遺症(『レナードの朝』参照)など、明確な原因が別にある場合は、「(続発性)パーキンソン症候群」と区別します(パーキンソン病についての解説は全国パーキンソン病友の会のページ等をご参考下さい)。
 パーキンソン病の症状の原因については、かなり解明されています。脳幹(中脳)で運動を微調節している部分の連絡が、なんらかの理由でうまくいかなくなるというのがその原因です。
 単純に言えば、神経細胞を伝わる電気的信号を通じて、我々は、考え、生き、活動しているわけです。神経細胞がネットワークとして働くのは、神経細胞から別の神経細胞に電気信号を伝えることが可能となっているからで、これを可能としている物質を、「神経伝達物質」といいます。この神経伝達物質は数多くありますが、パーキンソン病で問題となるのは、ドーパミンという神経伝達物質です。脳内でドーパミンが欠けることによって、脳幹の黒質細胞と線条体への連絡網が損傷されてしまうのです。ということで、パーキンソン病の治療は、このドーパミンを外から補うこと(実際には、脳血管関門を通るように、Lドーパという薬物を使うこと)になります。Lドーパの効果は、時に劇的で、これは『レナードの朝』でも描かれていますが、今なおパーキンソン病治療の中心的な地位をしめています。ただ、パーキンソン病は、ドーパミンが欠けているだけではなく、脳幹部ドーパ系の神経細胞そのものが変質し脱落するため、Lドーパの薬物療法は限定的な効果しかもたらしません。それでも、パーキンソン病の治療法の開発が、その後の中枢神経系の疾患に対する治療戦略に光明を与えたことだけは間違いありません。

 パーキンソン病は、イギリス人パーキンソンが報告し、その業績をフランスの神経学の泰斗シャルコーが発掘することで世に知られました(発見者に敬意を払い「パーキンソン病」と名付けたのはシャルコーです)。これらの発見は、いずれも19世紀です。その後、第一次大戦後に、パーキンソン病の病変が黒質に発見されますが、ドーパミンにまでたどり着いたのは、戦後(1960)になってから、佐野勇およびH.Ehringer & O.Hornykiewiczの功績によるものです。この発見により、『レナードの朝』にあるような、Lドーパ療法が開発され、現在の治療戦略の基礎が確立したといって良いでしょう。なおLドーパによる治療が開始される10年以上前(1949年)に、抗コリン薬の治療が始まっています。これは、脳内でドーパ系とは逆の働きをしている、コリン系(アセチルコリンという物質を神経伝達物質として使用している)が相対的に強まることを抑えるという治療法で、現在も、補助的に使用されている治療法です。

 以上のように、ヒトラーが生きた時代にはパーキンソン病という診断はついても、治療の手がかりは全く存在していませんでした。いくら当時最先端にあったドイツ医学とはいえ、ヒトラーの病気には全く手をこまねいているかしか、なかったのです。
 ところが、ヒトラーの主治医モレルの行っていた奇妙な処方が、ヒトラーのパーキンソン病になんらかの治療的効果をもたらしていた可能性があるのです。モレルはヒトラーに取り入り絶大な信頼を得ることに成功していましたが、実は相当な藪医者だったようです。なにしろ、ヒトラーがパーキンソン病であることに、長い間全く気がついていなかったくらいです。ヒトラーが潰瘍を患っていたこともあり、モレルは、大量の薬や注射の処方をヒトラーに対して行っていました。その中に、覚醒剤であるメタンフェタミンや、コカインがあったようです。特に、メタンフェタミンは、ドーパミンと類似の構造を持ち、ドーパミンの神経系に作用します(そのために覚醒剤としての精神作用がある)。パーキンソン病に対して、メタンフェタミンを用いるとどのような効果があるかは専門医であっても分からないでしょうが、薬理学的には、ドーパミンと同様の働きをする、つまり、相当に治療的な効果があると考えられます。気力が全く失われたヒトラーが、モレルの注射で見違えるようによみがえったことは、秘書ユンゲの著作にも描かれています。この注射の頻度は徐々に高まっていたようで、おそらくは、覚醒剤依存の状況になっていたようです。
 こうなると、先ほど、ヒトラーが同じ作戦に固執することをパーキンソン病の「保続」から説明しましたが、それだけでなく、誇大的で強い興奮に満ちた言動は、メタンフェタミンから説明することも可能ということになります。

 このように、なぜ、大戦開始前後は、天才的で悪魔的な軍事・政治的な才能を発揮したヒトラーが、1930年代後半になると、建設的な構想力を全く失い、妄想的で一つの作戦に固執するようになったのか、そして、なぜ、ヒトラー率いるナチスドイツが、徹底的に壊滅の道を選んだのかが、歴史の謎とされています。これらは、総統の「病」にその原因を求めることが可能かもしれません。
 しかし、今度は、そんな総統盲従するだけだった幹部達のメンタリティも疑問になります。戦時中のわが国のように、国全体が洗脳されていたということなのでしょうか。

【tilte, subtilte】
 原題の"Der Untergang"は、日が沈むことや沈没を表す語で、ここでは「没落」「滅亡」「破滅」の意です。英題は"Downfall"ですが、日本語は強引なタイトル。「滅亡」で良いと思うんですけどねえ、センスがないなあ。
 しかも、「ヒトラー~最期の12日間~」というのは正確ではないのです。
1945年4月20日:ヒトラー56歳誕生日
1945年4月21日:ソ連軍ベルリン市内への砲撃開始
1945年4月22日:ゲッペルス、地下要塞に家族を呼び寄せる。
1945年4月23日:ゲーリングからヒトラーへ権限移譲の電報、ヒトラー激怒。
1945年4月24日:シュペアー地下要塞辞去。ヒムラー単独講和申し入れ。
1945年4月25日:空軍グライム大将、女性パイロット・ハンラ・ライチュ、決死の到着。
1945年4月28日深夜:ヒトラー・エーファ結婚
1945年4月29日:ヒトラー遺言作成
1945年4月30日:ヒトラー・エーファ自殺、遺体焼却→【11日目又は9日目】
1945年5月1日:ゲッペルス夫妻、子どもを無理心中。
1945年5月2日:赤軍が首相官邸を占拠。
1945年5月7・8日:デーニッツ無条件降伏に署名
 このように、12日間は描かれているが、ところどころでとんでいますし、そもそも、ヒトラーの最期の12日間でもないのです。したがって、「第三帝国崩壊の12日を描く」ならまだ良いですが、もっと単純にそして原題に沿い、「滅亡」とした方が良いと思うのですけどね。

【books】
 原作は2冊、ジャーナリストで歴史家でもあるヨアヒム・フェストの『ヒトラー最期の12日間』と、ヒトラーの秘書であり映画の一番最後に本人が登場するトラドゥル・ユンゲ『私はヒトラーの秘書だった』です。いずれの著作も、怪物ヒトラーではなく、人間ヒトラーを描き出すのに成功しています。映画が扱っている期間の設定は、フェストの著作に沿っていますが、内容的にはユンゲの著作に沿う部分が多いようです。ただ、映画には、両原作には描かれていない内容や、原作にやや反する内容もあります。フェストによれば、ヒトラー最期の期間に関する関係者間の記憶には、驚くほど不一致があるそうで、この映画も原作以外からの情報に寄ったのかもしれません。
 『私はヒトラーの秘書だった』を読んだ人には、この作品に描かれている1943~44年の安定的な期間、すなわち、ヒトラーを中心に夜ごとの集いが行われ、ユングが、ヒトラーのユーモアと紳士的な態度に親密な感情を深めていく期間についても、もう少し描かれるべきだと感じるかもしれません。それだけ、ユングの原作のヒトラーの紳士的で人間的な側面は、ある意味脅威であり、人間ヒトラーに新しい光を与えるように思うからです。
 ところで、フェイルは、ヒトラーの固執を、彼がそもそも持っていた「破壊衝動」あるいは「破滅衝動」から説明しようとしています。これも大変おもしろい仮説ですが、やはり、パーキンソン病の症状として理解する方が説得力があります。

 ヒトラーの病気については、小長谷正明『ヒトラーの震え、毛沢東の摺り足』、リチャード・ゴードン『歴史は患者でつくられる』に従いました。

 以上、今回の話は、パーキンソン病で苦しむ患者さんに不愉快な内容だったかもしれませんが、お許し下さい。

【videos, DVDs入手しやすさ】
 まだ上映中です。是非、是非、見に行って下さい。

↓参考になったら、是非、人気ブログ投票してください↓
(アクセスすると投票したことになります)

人気blogランキングに投票

# by harufe | 2005-08-28 21:10 | ICD G00-G99神経系の疾患

運命の瞬間(とき)/そしてエイズは蔓延した AND THE BAND PLAYED ON (1993/US)

B20-B24 ヒト免疫不全ウイルス[HIV]病

【staffs】監督:
出演:マシュー・モディン(ドン・フランシス博士)、アラン・アルダ(ロバート・ギャロ博士)、パトリック・ボーショー(リュック・モンタニエ博士)、ナタリー・バイ(フランソワーズ・バレ博士)、フィル・コリンズ(エディ・パパサノ)、リチャード・ギア(マイケルベネット)、スティーブ・マーティン(兄がエイズで死んだ男)、チャールズ・マーティン・スミス(ハロルド・ジェフ博士)、リチャード・ジェンキンス(マーク・コナント博士)、リリー・トムリン(セルマ・ドライツ博士)、アンジェリカ・ヒューストン(ベッツィ・ライス博士)、グレン・ヘドリー(メアリー・ガイナン博士)、デビッド・クレノン(ジョンストーン)、バッド・コート(「アンティーク」のオーナー)、チェッキー・カリョ(ウィリー・ローゼンバーム博士)、ウージー・カーツ(ジョンストーン夫人)、ソウル・ルビネック(ジム・カラン博士)、イアン・マッケラン(ビル・クラウス)、ローラ・イネス(血友病患者の母)
【prises】
第51回ゴールデン・グローブ賞作品賞(TVムービー/ミニシリーズ)ノミネート
【my appraise】★★★★-(4 minus per5)
【prot】
 1980年代、アメリカの大都市SF、LA、NYで、若く健康な男性が、リンパ節の腫脹やサイトメガロウィルスの感染、あるいはカポシ肉腫、カリニ肺炎といった極めて希な疾患に次々と倒れていく。彼らの共通項は、免疫機能の著しい低下、そしてゲイであること。CDC(アメリカ疾病対策センター)は、この事実をいち早くつかんだ。この「奇病」は、感染によるものなのか、それともゲイが乱用するドラックや極端な性習慣によるものなのか。やがて、この病気は、ゲイ以外にも広がり、エイズと名付けられた…。
【impression】
 ベストセラーのノンフィクションを、テレビ映画に相応のエンターテイメントとして、うまく料理しているように思います。また、豪華スタッフによって、テレビ映画とは思えない奥行きのある作品になっています。
 ただ、明らかにやりすぎも多いと感じます。原作では1登場人物に過ぎないドン・フランシス博士を映画では主人公にしたのまでは良いとして、彼を、徹頭徹尾「真実にいち早く明らかにし、社会に警笛を鳴らしていた信念の人」として、「エゴや官僚主義によって、真実が無視される社会」との対立を描こうとしたのは、明らかに真実を曲げていると思います。当時としてはマイナーなレトロウイルスを専攻していた日の当たらない研究者(ドン・フランシス)が、まだ原因不明の病気を、自分の専門に引き寄せて解釈するのはある意味当然でしょう。それがたまたま真実であったからといって、また、数多い仮説の中で、その仮説が受け入れられなかったからといって、社会の無理解を責めるのは誇張に過ぎると思います。後知恵で人を裁き、なんら教訓を得られないという愚をここでも繰り返しているのではないでしょうか。真実というものは、後生の人間が考えるほど単純ではないのです。
また、ドナルド・フランシスが実際には30代後半ににもかかわらず、20歳代にしか見えない俳優を起用し、同様にビル・クラウスは30歳代半ばにもかかわらず50歳代にしかみえない俳優を起用しているのが、全くもって解せないです。さらに、ガエタン・デュガが化学療法でスキンヘッドにしていたのを、ふさふさの髪にしているというのも、どういうことなのでしょうか。 
【staffs】
1983年1月3~4日、益々深刻になりつつある血液を通じた感染(特に、濃縮血液製剤に頼る血友病患者への感染)についての議論を行うために、ジョージア州アトランタに、CDC、FDA、赤十字、血液銀行、血友病患者等、関係者一同が集まりました。しかし、結局は、血友病の免疫低下が確認された程度で、具体的対策は決定されませんでした(これが、世界で最初に行われた、HIV血液感染に対する公的な議論・決定です)。
 さて、映画でも、このアトランタでの会議が取り扱われており、その席に血友病患者側(患者の母親)役で、『ER緊急救命室』のケリー・ウィーバー部長役でお馴染みのローラ・イネスが出演しております。
 ローラ・イネスも『ER緊急救命室』での意地悪な医師の役柄が板についていますが、この映画でもちょい役ですので、もう少し別の役柄をきちんと演じるところを見てみたいところです。

【medical view】
 エイズがアメリカの同性愛者の間で「奇病」として知られるようになったのが1980~81年。それをCDC(国立防疫センター)が免疫不全を共通とする症候群として警告したのが82年3月。その後、同性愛者以外の麻薬常用者や血友病患者にも感染者が広がっていることが分かり、アメリカ公衆衛生局が関係者を集めた会議で、AIDSという病名が採用された(それまでは、ゲイ関連免疫不全症候群(GRID: Gay Related immune deficiency syndrome)といった名前が使われていた)のが同7月です。
 翌1983年5月にはパスツール研究所のモンタニエが、サイエンス誌上で、ウイルス発見を発表しますが、世界的な理解を得られませんでした(これが結果的には正しかった)。1984年4月にはギャロ博士がウイルス同定を発表、同年9月抗体検査が可能となり、ウイルスが加熱により不活化することが明確になりました。ギャロのウイルスは、モンタニエのウイルスと同一で、どうやら、ギャロがモンタニエのウイルスを盗用したと…いったギャロの研究者倫理にもとる行為やモンタニエとの間とのごたがたは、映画にも描かれています。
 1996年に抗HIV薬の組み合わせでかなりの効果が期待できる(感染してもかなりの確率で発症を抑え、生命予後を延長できる)ことがわかり、現在では、少なくとも、高価な抗HIV薬を負担できる国・層にとっては、絶望の病ではなくなってきています。しかし、この映画で描かれているのは、HIVの治療に絶望しかない時代です(治療やワクチンについては、『ロングタイムコンパニオン』『フィラデルフィア』『マイフレンドフォエバー』『私を抱いてそしてキスして』『野生の夜に』等のエイズを扱った映画で述べます)。

 過去の疾病と人類の歴史を鑑みても、エイズの発見からHIVの発見、抗HIV薬の開発までのスピードは、20世紀の医学の進歩を如実に物語っているといえます。しかし、その一方、そもそも感染力の弱いエイズが、1980年代前半にアメリカで爆発的に拡大したこと、そして、その拡大に歯止めがかからなかったこと、この点を真摯にふり返ったのが、この映画(というより、映画の原作)です。

 エイズの爆発的な拡大には、当時のアメリカ社会的背景、つまり、性の開放とゲイの社会的認知という2つの流れがありました。また、ゲイの公民権活動が盛んとなり、大都市、特に西海岸のロス、サンフランシスコで強い市民権を得つつあったということも重要な背景です。
 ゲイ達は、それまでの後ろめたい罪の意識から開放され、そのエネルギーが性行動に向けられた面もあります。その結果、不特定多数と日に何回も性交渉を重ねる「バスハウス」の登場と加熱に代表されるような環境が醸成されつつありました。これに加え、肛門性交、肛門接吻、オーラルセックスといった多様な性行動が、様々な感染症の温床になっていたのです。1980年当初、サンフランシスコではゲイの3分の2がB型肝炎に感染し、アメーバー症、ジアルジア鞭毛虫症といった胃腸寄生虫病も猛威を振るっていました。映画にも登場したフレンチ・カナチアン航空のステュワード、ガエタン・デュカは、実在の人物で、「ゼロ号患者」と呼ばれていますが、たった1人のゲイの感染が瞬く間に感染を拡大させる構造がそこにはあったのです。

 さて、以上のような構造は、エイズが発見された後、徹底的な対策を講ずるための大きな障害ともなりました。

 まず、ゲイ達が、怪しげなドラッグを頻用することも含め、余りにも多様な性行動をとっていたために、免疫システムが破壊されたことに対して、様々な仮説と検証を必要としたことがあげられます。
 また、迅速で徹底的な対策が必要であったにもかかわらず、そうした対策がとられなかった背景には、ゲイ以外の人の無関心や反発がありました。多くの人々がゲイに限定された問題であると無関心であり、保守的な人々の中には公然と「神の下した罰」と宣言する人々もいたくらいです。当時は、レーガン政権が発足するなど、保守化の流れが強くなっている時期でもあり、この傾向は強められました。この背景には、ゲイが急速に社会的な権利を得たことに対する、反発もあったのではないでしょうか。
 さらに、感染症であることがある程度明確になり、行政が感染の温床となっているバスハウスを閉鎖しようとしても、長年虐げられてきたゲイ達は、それを、自分たちの権利の侵害と捉えました。ゲイ達の繊細な権利意識が、自分で自分の頸を締めさせたともいえるでしょうか。
 それから、これは、意外と知られていないですし、映画にも取り上げられていないのですが、公民権活動の中で権利を得つつあったゲイ達は、市民の義務も積極的に果たし、社会に認められようと行動をとっていました。そのために様々な活動やプログラムを行いましたが、その中に積極的に献血に参加するという活動があったのです。これにより、ゲイから、輸血者、特に濃縮製剤を使う患者に対する感染が拡大してしまったのです。運命の皮肉といわざるをえません。しかも、ゲイであるというだけで献血の場から閉め出すことは、「権利の侵害」として、アフリカ系アメリカ人達を含め大反対にあいました(これは、前述のローラ・イネスの登場場面にありましたね)。当時、アメリカの濃縮製剤に頼っていた日本の血友病患者へ感染が拡大したのには、こうした背景もあったのです。

 もちろん、政府機関の怠慢や血液銀行の利益を守ろうという姿勢(アメリカでは、献血事業は営利事業として行われています)にも問題がありました。権利や個人主義をベースとした、アメリカ民主主義社会が、結局何も決定できなかったという点を原作は克明に描いているようにも思えます。
 しかし、ここで述べたような社会背景がなかったとすれば、感染の拡大はもっと未然に防げたといって良いでしょう。

 さて、アメリカでは、本書を始め、エイズが拡大した過去の歴史について真摯な分析が進んでいます。何がエイズを拡大させたのか、我々は何を反省すべきか、その点について真摯に追求しているのです。
 しかし、我が日本では、どうでしょう。日本のエイズは、アメリカとは全く違う状況の中で感染が拡大しましたから、全く異なる分析が必要となるということです。しかし、そういった分析がほとんど行われていません。ジャーナリスト達は、「役人と製薬メーカーと学者達が、自分たちの利益を維持・拡大するために患者を犠牲にした」という大前提だけで、関係者を非難するだけでした。もちろん、怠慢としかいえない役人や、利己的な学者、自分たちの利益しか考えない製薬メーカーは存在しました。しかし、その構図だけで決めつけようとすることで、何を反省し、何を教訓とし、何を変えるべきかが、全く問われませんでした。
 櫻井よしこ氏のような、日本を代表とするジャーナリストが先頭にたって、ヒステリックに、後知恵で人を裁き、それを社会が喝采するという構図は、薬害エイズを生んだ社会と同じくらい空恐ろしいものと感じます。もちろん、政治や行政の側も真摯にふり返り、反省すべきですが、より知的でよりスケールの大きい本質的分析は、ジャーナリズムの役割のはずです。
結局、我々は、薬害エイズからはほとんど教訓を得ていないのです。また、こうした事件が起こるでしょう。
 この映画や原作を読むにつけ、日本が薬害エイズから何ら教訓を得ていないことに対して、日本の知的水準の低いマスコミやジャーナリストに大いなる責任があるように思えてなりません。
【tilte, subtilte】
 映画の原題は、原作のタイトルそのままです(ただし、原作のタイトルには、”Politics, People, and the AIDS Epidemic(政治、大衆とエイズの流行)”という副題がついています)。この原題”And the Band Played on(そしてバンドは鳴りやまず)”は、1890年頃アメリカでよく歌われた古い歌の題名だそうで、「みんながいつものことだと放っておいた」という意味なのだそうです。ただ、この映画では、それに、「エイズによって失われた命を悼む音楽が止まない」というニュアンスがうまく重なっていて、よい効果を生んでいます。

 その意味で、原作の邦訳のタイトル『そしてエイズは蔓延した』というタイトルは、原題の含蓄はないものの、なんとか合格点をあげられる邦訳ではないでしょうか。
 それに対して、映画の邦題はひどい。誤訳といっても良いと思います。そもそも『運命の瞬間』に該当する「瞬間」がこの映画の中にも、エイズをめぐる歴史的事実のどこにも存在しないのですから。いや、むしろ、「放っておいた」だけ、ということで、「運命の瞬間」がないところに、この問題の困難の本質があるのです。
 この邦題は、そういった映画の内容や本質には、全く興味がない日本語スタッフの安易さが伝わってくるようです。『誤診』もそうだでしたが、テレビ映画で、ビデオ、DVDのみ発売のため、スタッフもレベルが低いのでしょうか。それとも、こうした本質を理解しようとしないのは、それこそ、我々日本社会の本質なのかもしれないです。

今回は、随分、日本社会に批判的な文章になってしまいました…。


【books】
 原作『そしてエイズは蔓延した』はに分かれる大作ですが、読み応えのあるノンフィクションで、夏休みに頑張って読むのはいかがでしょうか。
【videos, DVDs入手しやすさ】★★
 レンタルビデオがリリースされていますが、よほど大きな店でないと置いていないです。アメリカではセルDVDがリリースされていますので、そちらを利用するというのもあるかもしれませんね。

↓参考になったら、是非、人気ブログ投票してください↓
(アクセスすると投票したことになります)

人気blogランキングに投票

# by harufe | 2005-08-14 07:35 | ICD A00-B99感染症及び寄生虫症

ティアーズ・オブ・ザ・サン Tears Of The Sun(2003 / US)

国際医療救助活動(国境なき医師団)

【copy】
“命令違反”
それでも私は、あなたたちを守りたかった――。

【staffs】監督:アントワーン・フークア
出演: ブルース・ウィリス(ウォーターズ大尉)、モニカ・ベルッチ(リーナ・ケンドリックス)
【prises】(not worth mentioning)
【my appraise】★★★(3 per5)
【prot】
 1966年ナイジェリアでは、軍事クーデターによりイスラム教系ハウサ族が政権を握り、キリスト教系イボ族に対する圧政と虐殺が始まる。
 米軍特殊部隊のウォーターズ大尉は、そのナイジェリアからアメリカ国籍を持つイタリア系女医を救出する指令を受ける。彼女は、イボ族の難民と行動を共にし、治療を続けており、自分だけが救出されること拒む。しかし、それは米軍の指令では受け入れられないものだった…。
【impression】
 当初「ダイ・ハード4」として書かれた脚本を、設定を変えて映画化したのがこの作品なのだそうです。映画では、「ダイ・ハード」の続編とは、とても感じられなかったです。

 この映画製作の頃、同時多発テロがあり、イスラム=悪VSキリスト教=善の対立で、この映画を作られたのは想像に難くありません。アフリカ屈指の産油国ナイジェリアの現体制に連なる軍政府を、あそこまで「悪」にかくものかなあ、と思いました(しかも、歴史的には、イボ族のジェノサイドは疑問視されつつあるというのに)。
 こういう政治的背景も含め、ハリウッドらしい戦争アクション映画です。

 ちなみに、東部イボ族独立運動であるナイジェリア内戦(日本ではビアフラ内戦と呼ばれています)は、67~70年の期間200万人者死者を出しました。その数は、大国の介入が無かったにもかかわらず、ベトナム戦争、朝鮮戦争並みです。これだけの大規模な死者を出したのは、この映画で描かれているようなイボ族への集団殺害ジェノサイドによるものというよりも、「ビアフラの理念が認められさえすれば、ビアフラ人が1人残らず殺されてもかまわない」と宣言した分離独立・徹底抗戦主義のイボ族・オジュク大佐の役割が少なくありません。
 現在は、ビアフラ共和国は地上から姿を消し、この映画で描かれているナイジェリアの軍事政権がそのまま大統領選を経て民政化しています。部族・宗教間対立はくすぶっているようです。

 武器のこととかは詳しくないのですが、1960年代という時代考証は、これで大丈夫なのだろうかと感じました。
【staffs】
 「イタリアの宝石」モニカ・ベルッチは、この映画でも美しさが光っています。しかし、美しさが光りすぎて、内戦の前線で救援活動に専心する医師役としては、今ひとつな気がします。「マレーナ」のような汚れ役でもない、「マトリックス」のような無機的な美人役でもない演技は、今ひとつなのでしょうか。
この映画は、「マトリックスリローデッド」「マトリックスレボリューションズ」のほぼ同時期に撮られた映画です。

【medical view】
 ノーベル平和賞を受賞した「国境なき医師団」を知らない人はいないと思いますし、この映画を見て、それを思い出した人も多いかもしれません。実は、「国境なき医師団」は、この映画で扱われていたビアフラ内戦(ナイジェリア内戦)を契機に、フランス人医師ベルナール・クシュネールらを中心に結成されました。
 ビアフラ内戦までは、戦争時の人道支援(非戦闘員に対する医療)を担ってきたのは、1864年にアンリ・デュナンによって設立された赤十字でした。しかし、赤十字は、ナチスの強制収容所を訪問しそれを非難せず、しかも赤十字が訪問したことをナチスが宣伝に用いたことから、戦後、大きな批判に立たされました。赤十字国際委員会は、第三者(歴史学者ジャン=クロードファヴェーズ)による調査を受け入れ完璧な総括を受け入れています。しかし、人道援助を行うために、権力に対して口を閉ざさざるを得ないという面が、赤十字の限界として多くの人々に認識されていたのでした。このことが、本映画の背景であるビアフラ内戦において、再度クローズアップされることになりました。赤十字国際委員会は、ナイジェリア連邦政府との合意に重きを置き、国際社会への告発への行動をとらなかったのです。特に、イボ族に対する集団殺害(ジェノサイド)を目撃したフランスの赤十字の医師達は、この「沈黙」を赤十字の限界としてとらえたのでした。
 そうして、赤十字の過ちを繰り返さない、すなわち、緊急医療を行いつつ、本格的援助に向けて、国際世論に対する「耳」にも「目」にもなろうとして設立されたのが、国境なき医師団であったということです。
 国境なき医師団は、その後、様々な矛盾に向き合い、分裂を繰り返しつつも、確実に国際社会における地位を確立してきたといってよいでしょう。

 イラクにおける邦人人質事件以来、この映画を見て、こうした援助に対して、「偽善」だとか「自己満足」だとか「迷惑」だとか、感じる人が増えているように思います。そうした方は、【books】で照会した「人道援助、そのジレンマ」を一読下さい。自分の認識や思考の浅さに気づかされるとともに、フランス人らしい、実践と抽象思考のたゆみなき葛藤に敬意を払わざるをえないと思います。特に、センティメンタリズムと自己賞賛を乗り越えようとすることへの厳しさには敬服します。

 「人道援助、そのジレンマ」の中で、ロニー・ブローマンは、「国境なき医師団」設立となった、ビアフラ内戦におけるフランス赤十字の医師たちは、実は、オジュク大佐率いる分離独立派に利用されていたのではないかと提起しています。こういった、自己の歴史を総括・否定しているところは、なかなか勇気のいるところだと思います。

 国境なき医師団、その後については、『すべては愛のために』について述べたいと思います。

 それにしても、看護などのコメディカルスタッフも参加するのに、「医師団」っていう名称を不適切に感じるのは私だけでしょうか(原語も「医師団」のようですし)

【tilte, subtilte】

【books】
ノベライズが出ています。
 国境なき医師団の実践と理念については、ロニー・ブローマン『人道援助、そのジレンマ』が白眉の書です。
【videos, DVDs入手しやすさ】★★★★★
 最近の映画で、人気俳優の共演ですから、どのショップにもレンタルDVDが置いてあります。

↓参考になったら、是非、人気ブログ投票してください↓
(アクセスすると投票したことになります)

人気blogランキングに投票

# by harufe | 2005-08-13 22:11 | 基礎医学と医療制度

愛と死をみつめて(1964/Jpn)

C41.0 頭蓋骨および顔面骨の悪性新生物

【staffs】監督:斎藤武市、原作:大島みち子/ 河野実
出演:吉永小百合(小島道子)、浜田光夫(高野誠)笠智衆(小島正次)、原恵子(母)、内藤武敏(K先生)、滝沢修(中山仙十郎)、北林谷栄(吉川ハナ)、ミヤコ蝶々(佐竹トシ)、笠置シヅ子(中井スマ)
【prises】(not worth mentioning)
【my appraise】★★★(3 per5)
【prot】
 左顔面に軟骨肉腫を患い闘病生活を送る道子。彼女を支えてくれるのは、暖かい両親と、病院で知り合った誠。しかし、阪大病院に入院する道子と東京の大学に通う誠をつないでくれるのは、手紙と電話だけだ。闘病生活の末、道子は、顔半分が潰れる大手術を余儀なくされるが…。
【impression】
 皮肉なことに、病と純愛はとても愛称が良いようです。それでも、この映画のように実話というのは珍しく、それだけ感慨深いところです。
 この映画の主人公のマコこと、河野実さんは存命中、63歳で、ビジネスコンサルタント、ジャーナリストとして活躍中なのだそうです。週末は野菜づくりに汗を流す日々ということで、少し現実に引き戻されますね。
 興行成績は通常であれば年間1位になる大ヒット(この年の1位の『東京オリンピック』が超ヒット作だったため2位)ですが、映画賞には全く縁がありませんでした。
【staffs】
 年配の方に、「サユリスト」と呼ばれる人たちがいらっしゃいます。この映画を見ると、そのお気持ちが理解できます。知的で、コケットリーと母性を共有する溌剌さは、新しもの好きでいて実は封建的な男の心を惹きつけたのでしょう。
 吉永小百合は、浜田光夫とのペアで、この映画以外でも、「ガラスの中の少女」「キューポラのある街」など、「日活純愛路線」で活躍しました。浜田光夫は、この映画の時点で21歳ですが、もっとおっさんに見えて、興ざめなんです。ただ、昔の大学生はこんなおっさんくさかったのかもしれません。最近、「1リットルの涙」に、主人公亜也の父親役で出演しておられました。

【medical view】
 軟骨肉腫は、中年以降に骨盤や仙骨、背骨に発症することが多いため、道子のような若さでしかも顔面に発症することはとても珍しいといえます。阪大病院で入院治療を受けていたので、おそらく、学会で発表されているのではないでしょうか。悪趣味なので探しませんでしたが。
 軟骨肉腫の進行は遅く、手術により根治できる可能性が高いのですが、化学療法や放射線療法は有効でないため、ひとたび転移・再発が起きると、現在でも、治療は極めて困難ということです。つまり、道子の病気が現在起きたとしても、映画と同様に悲劇的な結末をもたらすということです。
 大変残念なことです。ただ、現在なら、もう少し残された時間を有意義に送ることができるような援助をするのではないかと思います(病気の詳細が分からないのですが、ひょっとしたら、速中性子や重粒子が有効かもしれません)。。
 この映画で、昭和30年代の大学病院の雰囲気がよく分かります。この頃はまだ、大学病院でも、患者自ら炊事をやっていたのですね。
【tilte, subtilte】

【books】
 原作であり、140万部の大ヒットとなった愛の往復書簡「愛と死をみつめて」(大和書房)が最近復刊されています。
 「マコ、泣いてばかりでごめんね」と、青山和子さん歌う同名の歌は日本レコード大賞を受賞したそうです。今では大したことはないですが、当時のレコード大賞は権威があったのです。
【videos, DVDs入手しやすさ】★★★
 最近、DVD化・レンタルリリースされましたので、比較的入手しやすいと思います。しかし、ミコは映画の中で、軟骨肉腫のため、徹頭徹尾左側を隠しているというのに、どうしてDVDのライナーでは普通にしているんでしょうか?誰も指摘しないものでしょうか。

↓参考になったら、是非、人気ブログ投票してください↓
(アクセスすると投票したことになります)

人気blogランキングに投票

# by harufe | 2005-08-07 20:28 | ICD C00-D48新生物