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17歳のカルテ Girl Interrupted (1999/USA)

F60.3 情緒不安定性人格障害

【staffs】監督:ジェームズ・マンゴールド
原作:スザンナ・ケイセン
EP:キャロル・ボディ、ウィノナ・ライダー
出演:ウィノナ・ライダー(Susanna)、アンジェリーナ・ジョリー(Lisa)、クレア・デュヴァル(Georgina)、ブリタニー・マーフィ(Daisy)、エリザベス・モス(Polly)、ジャレッド・レト(Tobias Jacobs)、ジェフリー・タンバー(Dr.Potts)、ヴァネッサ・レッドグレイヴ(Dr.Wick)、ウーピー・ゴールドバーグ(Valerie)
【prises】第72回アカデミー賞助演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)受賞、第27回ゴールデン・グローブ助演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)受賞、第5回放送映画批評家協会賞助演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)受賞
【my appraise】★★★(3 per5)
【prot】
 疾風怒濤の1960年代後半、スザンナは同級生の中で一人大学に進学せず、教師と肉体関係を持つ。大量のウオッカとアスピリンを接種したスザンナはERに運び込まれ、半ば強引に精神病院入院に同意させられる。
 医師が下した診断は「境界性人格障害」。同じ病棟には、スザンナ同様、反社会的、人格障害の思春期の少女達が入院している。最初は反発するスザンナだったが、患者のリーダー格リサに惹かれていき、病棟での生活にも馴染んでいく…。作者自身の体験を小説化した作品の映画化。
【impression】
 なかなか面白く見られますが、どうも1960年代の雰囲気がうまく出せていないような気がします。
【staffs】
 原作で描かれているスザンナの自傷行為や離人体験は、この映画では全く表現されていません。その結果、ウィノナ演じるスザンナは、境界性人格障害の少女というより、「時代を先取りして、奔放に生きたことが、当時の社会で、「異常」とされた女性」を演じているようにみえます。そして、ウィノナの視線は、異常である他の患者の少女達を、正常者として見つめる視線として描かれているように思います。
 ウイノナは、原作に惚れ、製作総指揮を買って出たようですが、残念ながら、自己の狭い体験の中で、スーザンの体験を理解し、演じようとしたようにしか見られません。
 それに対し、原作の持つ率直性を体現しているのがアンジョリーナ・ジョリーの演技です。リサの診断名は、反社会性人格障害Antisocial Personality Disorderとなっているようですが、これについても、まずますうまく演じられているのではないでしょうか。

【medical view】
 精神医学というのは、医学の中で、最も非自然科学的な学問です(往々にして他科からいかがわしいと思われがち)。というのも、精神医学が対象としているのが、生物学・生化学的な基礎が不明確な病気で、主として症状と経過だけを手掛かりに「治療」を行っているからです。医学が大きなパワーをもってきたのは、症状と経過によって疾病単位を記述したことに加え、原因や病変を明確にできたことで、根本的な治療が可能になったからです。もちろん、精神科の疾患でも、原因や病変が明らかになり治療ができるようになったものもあります。しかし、てんかんや進行麻痺のように、生化学的生物学的な基盤が明確になれば、精神症状が発生する以前に治療が可能となり、他科の病気になります。
 このことは、診療科目にも現れています。日本では、神経科とは精神科のことですが、英語で神経科Neurologyというと、日本でいう神経内科に当たります(これは、アメリカの医療映画やテレビでしょっちゅう誤訳されている)。
 なぜ、日本では「神経科」という言葉が「精神科」と全く同義の不適切な用法になっているかというと、ドイツ医学の影響ということもありますが、精神の病気と神経の病気を明確に区分する意味が余りなかったという過去の遺物と考えるのが適切だと思います。つまり、神経のことがほとんど解明されていなかった時代の産物という意味です。しかし、現在では、神経系の探求が進み、神経の病気と精神の病気は、かなり明確に線引きができます。正確にいえば、「神経系の異常が明確な病気」と、「神経系の異常だけでは完全に説明しにくい精神の病気」ということでしょうか。当然、両者には曖昧さが遺っています。例えば、精神症状が明確であっても、神経系の病変が明確な場合、典型例はアルツハイマー病ですが、この場合は、日本では精神科と神経内科で対応しています。アルツハイマー病を根治できる治療法が生まれ、精神症状が深刻になる以前に治療できるようになれば、精神科の病気ではなくなることは間違いないのですが、今のところ、なんとなく軽いうちは神経内科、精神症状が重度になれば精神科という線引きがされている(必ずしもそうでない場合も多いですが)のが実態です。
 何が言いたいかというと、治療や原因が明確な病気は他科に譲るわけですから、精神科では常に、治療や原因が不明確な状況で、対症的で、曖昧な対応しかできない運命にあるということです。
 いずれにせよ、現在では、どう考えても、神経科という日本語を、精神科と同義に使うのは不適切だと思います。精神の病気が精神科なら、神経の病気が神経科のほうがごく自然ですし、少なくとも、患者側の立場に立てば妙な混乱があるだけです。神経科の方が、精神科よりもイメージが良いので、というのを理由にする時代ではないような気がします。

 さて、このように不明瞭な精神医学ですが、治療の戦略という面で精神科の病気を分類すると、大きく3つに分類できます。第1に、脳内、特に神経系の異常が主要な原因であり薬物効果や外科的治療が比較的期待できる病気です。ただし、病因の解明や根治する治療法の解決にはほど遠いのが現状です。具体的には、統合失調症や気分障害などの「精神病」や、薬物やエイズや脳腫瘍などによる外因性の病気をここに分類できます。第2に、神経系の生化学的な関与はあるにせよ、心理的なストレス反応という見方をすることが適当で、薬物とカウンセリングが有効な病気です。ノイローゼや神経症、心身症という古い呼び名の病気や、パニック障害や多重人格障害などの最近流行の病気がここに入ります。今でも、日本では、第2のカテゴリーを総称して「神経症」と呼ぶことが多いです。そして、第3に、何か生物学的な異常はあるのかもしれないが、それよりは、性格・人格の極端な偏りと考えられている「人格障害」の一群です。第3のカテゴリーは、最も、医学から縁遠く、カウンセリングや薬物療法が、治癒につながるとは考えられていません。
 第1~第3を合わせて精神障害と呼び、1を精神病と呼びます。第1のカテゴリーは、全く了解できない精神状態や行動に及ぶが、薬が効く。第2のカテゴリーは、よく了解できる精神状態でまあまあ薬が効く。第3のカテゴリーは、了解できるかどうかは、1と2の中間で、薬はほとんど効かない。こんな感じでしょうか。もっとも、こういう分類は、あまり一般的ではないですかね。日本で最もオーソドックスなのは、第1のカテゴリーを内因性、外因性、第2のカテゴリーを心因性と分け、第3のカテゴリーを「精神病質(後述)」として外に出す分類です。

 スザンナの診断名「境界性人格障害」は、第3のカテゴリーに入る病気であり、アメリカ精神医学から生まれた概念です。アメリカは少なくとも1950年代までは、精神分析の時代であって、極端にいえば、全てが精神分析によって解決できるはずだから、診断名は不要である、といったような風潮があったようです。それが、1960年代から、診断が重要だということになり(特に、イギリスと比較して、分裂病などのメジャーな病気すら、診断基準が全く異なっているということが問題視され)、診断基準の明確化の方向に大きくウエイトを置かれるようになります。そうしてできたのが、通称DSMである「精神障害の診断と統計マニュアル」(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)です。それまでの精神科の診断は、「勘」が重要視されていたのですが、DSMでは、事細かに症状を列記し、その症状が○項目以上あること、などとかなり操作的な診断が可能になりました。ただ、結局は精神科の病気は、生物学的な背景が明らかでないものがほとんどですから、細分化し操作的にすることで「科学」っぽくしているところに、ちょっと馬鹿馬鹿しさがあります。下手な文学性や哲学性を排除したという面で、DSMは画期的ではありますが、それでは面白くないという精神科医が多いことも確かです。

 スザンナの病気である「境界性人格障害」という診断名は、日本では結構最近まで用いられていませんでした。専門家が一般的に使うようになったのは、1980年のDSM-Ⅲが和訳されて以降でしょう(それ以前のDSMの和訳は出版物では見たことがないのですが、正しいですかね?)。
 じゃあ、それまではどうしていたかというと、日本が伝統的に依拠してきたドイツ精神医学の中にある「精神病質」Psychopathyという概念を使っておりました。この診断と「人格障害」では何が違うかというと、基本的に同じものと考えて良いと思います。ただ、DSMの分類や記述がぴたりと当たる症例が増えてきたこともあり、日本でも境界性人格障害あるいは人格障害という診断名がよく使われるようになりました。世界的にも、DSMに依拠する形で疾病分類が変わってきたということも大きかったでしょう。また、そもそも日本の医学が、ドイツ医学からアメリカ医学に依拠するようになってきたということも大きいですね。なお、国際疾病分類であるICDの第10版では、「境界例人格障害」という診断名は採用されておらず、「情緒不安定性人格障害」というの下位概念に位置づけられています。しかも、日本語訳が、なぜか、境界「型」人格障害なんです。

 いずれにしても、生物学的自然科学的な発見から新しい分類が生まれるのではなくて、「こっちのほうが、それらしいから」ということで生まれるのが、精神医学の後進性というか発展途上性といって良いでしょう。それが間違っているとは言いませんが、なんだか、頼りない医学・学問のような気がします。(誤解されないように言っておきますが、精神医学は、一般の方がおもわれるほど、いい加減なものではありません。精神医学は極めて実践的で、妥当性の高い知の技術です。ただ、自然科学的な基盤という意味では、医学の中では相当に頼りないということです。)

 ところで、この「境界」「ボーダーライン」という用語は、少なくとも日本では、やや混乱して用いられているように思います。というのも、「境界例」という言葉が、そもそも、精神病と神経症の中間的な領域の概念であって、今でいう「分裂病型人格障害」「分裂病質人格障害」「妄想型人格障害」を主としつつも、人格障害全般を指していたからです。この傾向は今も続き、「境界例」とか「ボーダー」という言葉を精神科医が使う場合、人格障害全般を指しているか、その中の1つスザンナの「境界性人格障害」を指しているか、2通りの意味があると考えていた方が良いように思います。
 この「人格障害」という言葉は、英語の直訳なのですが、余り良い言葉ではないですよね。この当たり、精神科医達も、得意の「文学性」を発揮して欲しいところです。

 さて、映画の話に戻りますと、1960年代後半、アメリカでは、ケネディ教書に基づき州立精神病院がどんどん閉鎖された(精神障害者を隔離すべきでないという考え方で)時代でもあります(このことは、『カッコーの巣の上で』で述べます)。ただ、州立病院は統合失調症を安上がりな処遇・拘束をしていた病院です。それに対して、スザンナの精神病院は、お金持ち用の私立病院で、しかも思春期で人格障害だけの患者だけを集めたという、今の日本でも珍しい(私が知らないだけか?)病院です。この病院、原作によれば、精神分析をやったり、家族療法をやろうとしていたりするようですが、基本的には、手厚く監視しているだけのようです。
 今の精神科治療では、「人格障害は、性格の甚だしい偏りであって、「治療」するのは極めて難しい」と考えられています。ただ、原作の著者は、境界性人格障害を克服しているようです。また、原作を読む限り、境界例人格障害のメンタリティが理解できるような気がしますし、世間との折り合いのつけかたもあるように思えます。心理療法が有効とは思わないですが、折り合いのつけかたは学んでもらうことは、有効な「治療法」であるような気もします。

 いずれ、統合失調症や気分障害も、解明されてくれば、精神科の病気でなくなることが想定されます。そうなると、最後に精神科に残されるのは、この人格障害の領域かもしれません。「人格障害は病気ではないから治療の対象ではない」という意見も、納得はできるのですが。

【tilte, subtilte】
 原題のGirl, Interruptedは、フリックコレクションのフェルメールの絵画”Girl Interrupted at her music(中断された音楽の稽古)”からとられているようです。原作によれば、スザンナは、自殺未遂で精神病院に入院する前に、(性的な関係を持つ前の)高校の英語の教師とフリック美術館を訪れ、この絵から強い衝撃を受けたようです。「その茶色の瞳を見つめたわたしは、はっとした。彼女は何かを警告していた。音楽のレッスンから顔をあげて、わたしに何かを警告していた。唇を薄く空けて、はっと息を吸い込んで、「だめ!」と行っているように。」(吉田利子訳)
 このエッセンスを伝えた邦題をつけるのは難しいですね。それにしても、原作の邦題からして「思春期病棟の少女たち」とするのは、今ひとつだと思います。「病棟」という言葉が、「患者」として管理されていることにスポットを当てていて、interruptという重要なニュアンスが伝わらなくなっているように思うからです。
 映画のタイトル「17歳のカルテ」も、「カルテ」という「患者」としての管理の方にスポットを当てている上に、なんだかエロ系の陳腐なタイトルです。しかも、スザンナが自殺未遂で入院するのが18歳なのだから、そもそも「18歳のカルテ」とすべき。おそらくは、この映画が封切られた頃、日本では17歳の犯罪が相次ぎ「17歳問題」などと言われたからなんでしょう。こういう安直で陳腐で貧弱で乱暴な発想は、とても哀しくなります。こういう世間の乱暴さが、スザンナの精神を蝕んでいたのかもしれません。

【books】
 原作”Girl, Interrupted”(邦訳「思春期病棟の少女たち」)の著書Susanna Kaysenは1948年生まれ、1987年処女作を発表、8年後の1993年、第2作である本作を発表するや、これが絶賛をあび、即座にベストセラー、ニューヨーク・タイムズで11週間もランクイン、全米ベストセラーとなった。本作を書くに当たって、著者は弁護士を通じて自分の診療記録を取り寄せており、それもあわせて著作に示しています。本書は、読み物としても高いレベルにありますが、境界性人格障害の精神世界に触れるにも必読本です。
 ただ、訳者が、「掲載した診療録などの資料については、煩雑になるのを避けるため、本文に関係ある事項だけを訳出した」という、信じられない暴挙をとっているため、できれば和訳ではなく、原書を手にすべきでしょう。訳者は、著者が示した診療録などの資料を「煩雑」と片づけることが、どれだけ著者の精神世界を無視したものであるか、気がつかないのでしょうか。
 最近出た新書、磯部潮氏「人格障害かもしれない」は、手軽で分かりやすく、人格障害について理解する入門書としては好書です。しかし、この本で『17歳のカルテ』のことを触れているのは良いのですが(p72)、ウイノナ・ライダー、アンジョリーナ・ジョリーがともに「境界性人格障害」と診断されていると書いています。これは、著者の勘違いでしょう(上述のように、アンジョリーナジョリー演じるリサの診断名は、「反社会性人格障害:Antisocial Personality Disorder」ですから)。映画を見ていれば、こんな勘違いするとは思えないのですけどね。

【videos, DVDs入手しやすさ】★★★★
 人気女優の共演、オスカー受賞、最近の映画という要素が重なりますから、どのショップでもレンタルDVDが置いてあることと思います。

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by harufe | 2005-08-03 11:28 | ICD F00-F99精神及び行動の障害


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