彼の敵は世界 全てを目撃した秘書が今明かす、衝撃の真実。 【staffs】監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル、原作:ヨアヒム・フェスト(『ヒトラー 最期の12日間』)、トラウドゥル・ユンゲ(『私はヒトラーの秘書だった』) 出演: ブルーノ・ガンツ(アドルフ・ヒトラー)、アレクサンドラ・マリア・ラーラ(トラウドゥル・ユンゲ)、ユリアーネ・ケーラー(エヴァ・ブラウン)、トーマス・クレッチマン(ヘルマン・フェーゲライ)、コリンナ・ハルフォーフ(マグダ・ゲッベルス)、ウルリッヒ・マテス(ヨーゼフ・ゲッベルス)、ハイノ・フェルヒ(アルベルト・シュペーア)、ウルリッヒ・ノエテン(ハインリヒ・ヒムラー)、クリスチャン・ベルケル(シェンク博士) 【prises】第77回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、第17回ヨーロッパ映画賞男優賞(ブルーノ・ガンツ)ノミネート 【my appraise】★★★★+(4 plus per5) 【prot】 1942年11月下旬、東プロイセンのラステンブルクの司令本部“狼の巣”。10人ほどの若い女性の候補の中から、ユングは、ヒトラー自身の面接を経て、ヒトラーの秘書に選ばれる。 それから3年、1945年4月20日、ヒトラー56歳の誕生日、ユングは、ベルリンの首相官邸の地下防空壕で、ヒトラーの副官達、そしてヒトラーの愛人エファーと共に、ヒトラー最期の12日間を迎えようとしている。 57歳の誕生日を迎えるヒトラーは、パーキンソン病の震えが隠せず、融通の利かない妄想的な作戦で副官たちを慄然とさせる…。 【impression】 砲下の防空壕の中で、人間ヒトラーが、衰え、蒙昧し、最期を迎える姿が描かれている。銃弾や砲火の衝撃音、一瞬にして生命が失われていく映像、頭の底が麻痺するような2時間半、あっという間に過ぎる。20世紀の怪物に人間としての新しい光を当てるにとどまらず、生と死の一線や、真実の意味を問い直している。 私の中では10年に1つの映画です。必ず劇場で見ることをおすすめします。 【staffs】 ドイツの映画というと、どうも、安上がりのホラーを想像してしまいますが(日本の映画も外国ではそう思われているかもしれませんが)、この映画はドイツ映画の常識を破るお金をつぎ込んだようです。 もちろん、主演のブルーノ・ガンツの演技もさることながら、この女優、アレキサンドラ・マリア・ララの抑えた美しさと演技もなかなかのものです。彼女のドイツ語のHPで、久々にドイツ語を読もうと努力する気になりました(もちろん、途中でやめましたが)。」 【medical view】 ヒトラーが1941~2年頃より、死の瞬間まで、パーキンソン病に苦しんでいたことは、多くの研究者の一致した見解です。映画の中でも描かれている体を低くかがめる姿勢、1秒間に4~5回の左手の震え(ヒトラーが晩年、上の写真のように、右手で左手を押さえているのは、左手の震えを隠すためだそうです)、これらは典型的なパーキンソン病の症状であり、また、同じ作戦に固執し、途中から方針が変えられない融通のなさは、パーキンソン病に現れる精神的特徴である「保続(ほぞく)」という見方をする人もいるようです。 パーキンソン病は、アルツハイマー病を除けば、神経難病のなかでも、おそらく最も知られており、最も頻度が高い病気です。同じ症状でも、薬の副作用や脳炎の後遺症(『レナードの朝』参照)など、明確な原因が別にある場合は、「(続発性)パーキンソン症候群」と区別します(パーキンソン病についての解説は全国パーキンソン病友の会のページ等をご参考下さい)。 パーキンソン病の症状の原因については、かなり解明されています。脳幹(中脳)で運動を微調節している部分の連絡が、なんらかの理由でうまくいかなくなるというのがその原因です。 単純に言えば、神経細胞を伝わる電気的信号を通じて、我々は、考え、生き、活動しているわけです。神経細胞がネットワークとして働くのは、神経細胞から別の神経細胞に電気信号を伝えることが可能となっているからで、これを可能としている物質を、「神経伝達物質」といいます。この神経伝達物質は数多くありますが、パーキンソン病で問題となるのは、ドーパミンという神経伝達物質です。脳内でドーパミンが欠けることによって、脳幹の黒質細胞と線条体への連絡網が損傷されてしまうのです。ということで、パーキンソン病の治療は、このドーパミンを外から補うこと(実際には、脳血管関門を通るように、Lドーパという薬物を使うこと)になります。Lドーパの効果は、時に劇的で、これは『レナードの朝』でも描かれていますが、今なおパーキンソン病治療の中心的な地位をしめています。ただ、パーキンソン病は、ドーパミンが欠けているだけではなく、脳幹部ドーパ系の神経細胞そのものが変質し脱落するため、Lドーパの薬物療法は限定的な効果しかもたらしません。それでも、パーキンソン病の治療法の開発が、その後の中枢神経系の疾患に対する治療戦略に光明を与えたことだけは間違いありません。 パーキンソン病は、イギリス人パーキンソンが報告し、その業績をフランスの神経学の泰斗シャルコーが発掘することで世に知られました(発見者に敬意を払い「パーキンソン病」と名付けたのはシャルコーです)。これらの発見は、いずれも19世紀です。その後、第一次大戦後に、パーキンソン病の病変が黒質に発見されますが、ドーパミンにまでたどり着いたのは、戦後(1960)になってから、佐野勇およびH.Ehringer & O.Hornykiewiczの功績によるものです。この発見により、『レナードの朝』にあるような、Lドーパ療法が開発され、現在の治療戦略の基礎が確立したといって良いでしょう。なおLドーパによる治療が開始される10年以上前(1949年)に、抗コリン薬の治療が始まっています。これは、脳内でドーパ系とは逆の働きをしている、コリン系(アセチルコリンという物質を神経伝達物質として使用している)が相対的に強まることを抑えるという治療法で、現在も、補助的に使用されている治療法です。 以上のように、ヒトラーが生きた時代にはパーキンソン病という診断はついても、治療の手がかりは全く存在していませんでした。いくら当時最先端にあったドイツ医学とはいえ、ヒトラーの病気には全く手をこまねいているかしか、なかったのです。 ところが、ヒトラーの主治医モレルの行っていた奇妙な処方が、ヒトラーのパーキンソン病になんらかの治療的効果をもたらしていた可能性があるのです。モレルはヒトラーに取り入り絶大な信頼を得ることに成功していましたが、実は相当な藪医者だったようです。なにしろ、ヒトラーがパーキンソン病であることに、長い間全く気がついていなかったくらいです。ヒトラーが潰瘍を患っていたこともあり、モレルは、大量の薬や注射の処方をヒトラーに対して行っていました。その中に、覚醒剤であるメタンフェタミンや、コカインがあったようです。特に、メタンフェタミンは、ドーパミンと類似の構造を持ち、ドーパミンの神経系に作用します(そのために覚醒剤としての精神作用がある)。パーキンソン病に対して、メタンフェタミンを用いるとどのような効果があるかは専門医であっても分からないでしょうが、薬理学的には、ドーパミンと同様の働きをする、つまり、相当に治療的な効果があると考えられます。気力が全く失われたヒトラーが、モレルの注射で見違えるようによみがえったことは、秘書ユンゲの著作にも描かれています。この注射の頻度は徐々に高まっていたようで、おそらくは、覚醒剤依存の状況になっていたようです。 こうなると、先ほど、ヒトラーが同じ作戦に固執することをパーキンソン病の「保続」から説明しましたが、それだけでなく、誇大的で強い興奮に満ちた言動は、メタンフェタミンから説明することも可能ということになります。 このように、なぜ、大戦開始前後は、天才的で悪魔的な軍事・政治的な才能を発揮したヒトラーが、1930年代後半になると、建設的な構想力を全く失い、妄想的で一つの作戦に固執するようになったのか、そして、なぜ、ヒトラー率いるナチスドイツが、徹底的に壊滅の道を選んだのかが、歴史の謎とされています。これらは、総統の「病」にその原因を求めることが可能かもしれません。 しかし、今度は、そんな総統盲従するだけだった幹部達のメンタリティも疑問になります。戦時中のわが国のように、国全体が洗脳されていたということなのでしょうか。 【tilte, subtilte】 原題の"Der Untergang"は、日が沈むことや沈没を表す語で、ここでは「没落」「滅亡」「破滅」の意です。英題は"Downfall"ですが、日本語は強引なタイトル。「滅亡」で良いと思うんですけどねえ、センスがないなあ。 しかも、「ヒトラー~最期の12日間~」というのは正確ではないのです。 1945年4月20日:ヒトラー56歳誕生日 1945年4月21日:ソ連軍ベルリン市内への砲撃開始 1945年4月22日:ゲッペルス、地下要塞に家族を呼び寄せる。 1945年4月23日:ゲーリングからヒトラーへ権限移譲の電報、ヒトラー激怒。 1945年4月24日:シュペアー地下要塞辞去。ヒムラー単独講和申し入れ。 1945年4月25日:空軍グライム大将、女性パイロット・ハンラ・ライチュ、決死の到着。 1945年4月28日深夜:ヒトラー・エーファ結婚 1945年4月29日:ヒトラー遺言作成 1945年4月30日:ヒトラー・エーファ自殺、遺体焼却→【11日目又は9日目】 1945年5月1日:ゲッペルス夫妻、子どもを無理心中。 1945年5月2日:赤軍が首相官邸を占拠。 1945年5月7・8日:デーニッツ無条件降伏に署名 このように、12日間は描かれているが、ところどころでとんでいますし、そもそも、ヒトラーの最期の12日間でもないのです。したがって、「第三帝国崩壊の12日を描く」ならまだ良いですが、もっと単純にそして原題に沿い、「滅亡」とした方が良いと思うのですけどね。 【books】 原作は2冊、ジャーナリストで歴史家でもあるヨアヒム・フェストの『ヒトラー最期の12日間』と、ヒトラーの秘書であり映画の一番最後に本人が登場するトラドゥル・ユンゲ『私はヒトラーの秘書だった』です。いずれの著作も、怪物ヒトラーではなく、人間ヒトラーを描き出すのに成功しています。映画が扱っている期間の設定は、フェストの著作に沿っていますが、内容的にはユンゲの著作に沿う部分が多いようです。ただ、映画には、両原作には描かれていない内容や、原作にやや反する内容もあります。フェストによれば、ヒトラー最期の期間に関する関係者間の記憶には、驚くほど不一致があるそうで、この映画も原作以外からの情報に寄ったのかもしれません。 『私はヒトラーの秘書だった』を読んだ人には、この作品に描かれている1943~44年の安定的な期間、すなわち、ヒトラーを中心に夜ごとの集いが行われ、ユングが、ヒトラーのユーモアと紳士的な態度に親密な感情を深めていく期間についても、もう少し描かれるべきだと感じるかもしれません。それだけ、ユングの原作のヒトラーの紳士的で人間的な側面は、ある意味脅威であり、人間ヒトラーに新しい光を与えるように思うからです。 ところで、フェイルは、ヒトラーの固執を、彼がそもそも持っていた「破壊衝動」あるいは「破滅衝動」から説明しようとしています。これも大変おもしろい仮説ですが、やはり、パーキンソン病の症状として理解する方が説得力があります。 ヒトラーの病気については、小長谷正明『ヒトラーの震え、毛沢東の摺り足』、リチャード・ゴードン『歴史は患者でつくられる』に従いました。 以上、今回の話は、パーキンソン病で苦しむ患者さんに不愉快な内容だったかもしれませんが、お許し下さい。 【videos, DVDs入手しやすさ】 まだ上映中です。是非、是非、見に行って下さい。 ↓参考になったら、是非、人気ブログ投票してください↓ (アクセスすると投票したことになります) 人気blogランキングに投票
by harufe
| 2005-08-28 21:10
| ICD G00-G99神経系の疾患
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全体 ICD A00-B99感染症及び寄生虫症 ICD C00-D48新生物 ICD E00-E90内分泌栄養代謝疾患 ICD F00-F99精神及び行動の障害 ICD G00-G99神経系の疾患 ICD H00-H59眼および付属疾患 ICD H60-H95 耳乳様突起の疾患 ICD I00-I99循環器系の疾患 Q00-Q99 先天奇形変形染色体異常 基礎医学と医療制度 カテゴライズ annotazione
基本的に、お休みの週末に、1~2本、医療と福祉の映画を交互に1つ1つ取り上げ、そのうち、1つのテーマで複数作品を取り上げようと思います。 今のところ、50本程度の映画について書くつもりなので、05年中の完成、自費出版を目指しています。 …と言っていましたが、真面目に書く時間が、ほとんどないので、細く長くの方針に変更しました。 【マイ関連サイト】 医療福祉映画の原作・関連本(セブンアンドワイ) 医療福祉映画のあらすじ(みんなのシネマレビュー) ●goo映画● (情報確認用) ●TSUTAYA online● (愛用者です) 【参考サイト】 映画闘病記(TSUTAYA ONLINE) 実在する特定の病気を主題とした映画の一覧(ウィキペディア) 以前の記事
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