カテゴリ:基礎医学と医療制度( 6 )

ティアーズ・オブ・ザ・サン Tears Of The Sun(2003 / US)

国際医療救助活動(国境なき医師団)

【copy】
“命令違反”
それでも私は、あなたたちを守りたかった――。

【staffs】監督:アントワーン・フークア
出演: ブルース・ウィリス(ウォーターズ大尉)、モニカ・ベルッチ(リーナ・ケンドリックス)
【prises】(not worth mentioning)
【my appraise】★★★(3 per5)
【prot】
 1966年ナイジェリアでは、軍事クーデターによりイスラム教系ハウサ族が政権を握り、キリスト教系イボ族に対する圧政と虐殺が始まる。
 米軍特殊部隊のウォーターズ大尉は、そのナイジェリアからアメリカ国籍を持つイタリア系女医を救出する指令を受ける。彼女は、イボ族の難民と行動を共にし、治療を続けており、自分だけが救出されること拒む。しかし、それは米軍の指令では受け入れられないものだった…。
【impression】
 当初「ダイ・ハード4」として書かれた脚本を、設定を変えて映画化したのがこの作品なのだそうです。映画では、「ダイ・ハード」の続編とは、とても感じられなかったです。

 この映画製作の頃、同時多発テロがあり、イスラム=悪VSキリスト教=善の対立で、この映画を作られたのは想像に難くありません。アフリカ屈指の産油国ナイジェリアの現体制に連なる軍政府を、あそこまで「悪」にかくものかなあ、と思いました(しかも、歴史的には、イボ族のジェノサイドは疑問視されつつあるというのに)。
 こういう政治的背景も含め、ハリウッドらしい戦争アクション映画です。

 ちなみに、東部イボ族独立運動であるナイジェリア内戦(日本ではビアフラ内戦と呼ばれています)は、67~70年の期間200万人者死者を出しました。その数は、大国の介入が無かったにもかかわらず、ベトナム戦争、朝鮮戦争並みです。これだけの大規模な死者を出したのは、この映画で描かれているようなイボ族への集団殺害ジェノサイドによるものというよりも、「ビアフラの理念が認められさえすれば、ビアフラ人が1人残らず殺されてもかまわない」と宣言した分離独立・徹底抗戦主義のイボ族・オジュク大佐の役割が少なくありません。
 現在は、ビアフラ共和国は地上から姿を消し、この映画で描かれているナイジェリアの軍事政権がそのまま大統領選を経て民政化しています。部族・宗教間対立はくすぶっているようです。

 武器のこととかは詳しくないのですが、1960年代という時代考証は、これで大丈夫なのだろうかと感じました。
【staffs】
 「イタリアの宝石」モニカ・ベルッチは、この映画でも美しさが光っています。しかし、美しさが光りすぎて、内戦の前線で救援活動に専心する医師役としては、今ひとつな気がします。「マレーナ」のような汚れ役でもない、「マトリックス」のような無機的な美人役でもない演技は、今ひとつなのでしょうか。
この映画は、「マトリックスリローデッド」「マトリックスレボリューションズ」のほぼ同時期に撮られた映画です。

【medical view】
 ノーベル平和賞を受賞した「国境なき医師団」を知らない人はいないと思いますし、この映画を見て、それを思い出した人も多いかもしれません。実は、「国境なき医師団」は、この映画で扱われていたビアフラ内戦(ナイジェリア内戦)を契機に、フランス人医師ベルナール・クシュネールらを中心に結成されました。
 ビアフラ内戦までは、戦争時の人道支援(非戦闘員に対する医療)を担ってきたのは、1864年にアンリ・デュナンによって設立された赤十字でした。しかし、赤十字は、ナチスの強制収容所を訪問しそれを非難せず、しかも赤十字が訪問したことをナチスが宣伝に用いたことから、戦後、大きな批判に立たされました。赤十字国際委員会は、第三者(歴史学者ジャン=クロードファヴェーズ)による調査を受け入れ完璧な総括を受け入れています。しかし、人道援助を行うために、権力に対して口を閉ざさざるを得ないという面が、赤十字の限界として多くの人々に認識されていたのでした。このことが、本映画の背景であるビアフラ内戦において、再度クローズアップされることになりました。赤十字国際委員会は、ナイジェリア連邦政府との合意に重きを置き、国際社会への告発への行動をとらなかったのです。特に、イボ族に対する集団殺害(ジェノサイド)を目撃したフランスの赤十字の医師達は、この「沈黙」を赤十字の限界としてとらえたのでした。
 そうして、赤十字の過ちを繰り返さない、すなわち、緊急医療を行いつつ、本格的援助に向けて、国際世論に対する「耳」にも「目」にもなろうとして設立されたのが、国境なき医師団であったということです。
 国境なき医師団は、その後、様々な矛盾に向き合い、分裂を繰り返しつつも、確実に国際社会における地位を確立してきたといってよいでしょう。

 イラクにおける邦人人質事件以来、この映画を見て、こうした援助に対して、「偽善」だとか「自己満足」だとか「迷惑」だとか、感じる人が増えているように思います。そうした方は、【books】で照会した「人道援助、そのジレンマ」を一読下さい。自分の認識や思考の浅さに気づかされるとともに、フランス人らしい、実践と抽象思考のたゆみなき葛藤に敬意を払わざるをえないと思います。特に、センティメンタリズムと自己賞賛を乗り越えようとすることへの厳しさには敬服します。

 「人道援助、そのジレンマ」の中で、ロニー・ブローマンは、「国境なき医師団」設立となった、ビアフラ内戦におけるフランス赤十字の医師たちは、実は、オジュク大佐率いる分離独立派に利用されていたのではないかと提起しています。こういった、自己の歴史を総括・否定しているところは、なかなか勇気のいるところだと思います。

 国境なき医師団、その後については、『すべては愛のために』について述べたいと思います。

 それにしても、看護などのコメディカルスタッフも参加するのに、「医師団」っていう名称を不適切に感じるのは私だけでしょうか(原語も「医師団」のようですし)

【tilte, subtilte】

【books】
ノベライズが出ています。
 国境なき医師団の実践と理念については、ロニー・ブローマン『人道援助、そのジレンマ』が白眉の書です。
【videos, DVDs入手しやすさ】★★★★★
 最近の映画で、人気俳優の共演ですから、どのショップにもレンタルDVDが置いてあります。

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by harufe | 2005-08-13 22:11 | 基礎医学と医療制度

フラットライナーズ flatliners (1990/ USA)

救急医療

【copy】
心臓停止20秒、80秒、4分25秒…何が起きたんだ!
あまりにも危険な賭けに挑む5人の医学生。

【staffs】監督:
出演:キーファー・サザーランド(Nelson)、ジュリア・ロバーツ(Rachel)、ケヴィン・ベーコン(David_Labraccio)、ウィリアム・ボールドウィン(Joe)、オリヴァー・プラット(Randy)
【prises】(not worth mentioning)
【my appraise】★★+(2 plus per5)
【prot】
 シカゴの医大の医学生ネルソンは、死後の世界を体験する計画に同級生を巻き込む。彼らは、大学の工事中の建物の中に、除細動器を持ち込み、ネルソンを1分間の心停止後、蘇らせることに成功する。
 ネルソンに続き、ジョー、デヴィット、レイチェルが、徐々に心停止の時間を長くし、人工的に臨死体験を繰り返す。彼らは心停止の間に様々な体験をするが、蘇った後は、皆同様に、過去に犯した自分の罪のフラッシュバックや幻覚に苦しめられる…。
【impression】
 B級ホラーですが、みる価値はあります。臨死体験というのが、流行っていた頃の映画でしょうか。
【staffs】
 この映画は、「『24』のキーファ・サザーランドとジュリアロバーツがこの映画で知り合って婚約したまではよかったけれど、結局、キーファが結婚式ですっぽかされた。」ということで有名です。ジュリアがこの映画に参加した頃は、メグライアンの代役の「マグノリアの花たち」で注目され、更に「プリティ・ウーマン」で大ブレイクした頃でしたが、この映画やキーファとの結婚騒動の頃から長期低迷時代に入ります。この映画のせいにしたくなるほど、B級の映画ですが。

【medical view】
 この映画で「大活躍」するのが、除細動器(正確にいうと体外除細動器)です。医療映画やテレビではおなじみの機械ですね。「下がって!…(バン)」という例のあれです。
 心臓自身には、生理的なペースメーカーの機能があり、体の要求に従って一定の拍動をしています。ところが、何らかの理由で心臓が弱り刺激が加わった場合などに、心筋の各部分、特に心室の心筋がばらばらに興奮する状態(心室細動)になると、数分間で死に至ります。元々心臓疾患で心臓が弱っている場合や、スポーツ中の突然死などの場合に、この心室細動が起こります。こうなると昔は救いようがなかったのです。
 しかし、現在では、この心室細動の際に、瞬間的に強い電流を流す(1000分の2秒に2000~7000ボルト)ことによって、心臓が正常なリズムをとりもどすことが分かっています。これを、除細動といいます。除細動の技術は、1950年代末にベス・イスラエル病院のポール・ゾール医師が開発しました。彼の開発した除細動器は、交流除細動器であり、それを1960年代に現在使われている直流除細動器に改良・開発したのが、ノーベル平和賞受賞者としても著名なバーナード・ラウン医師です。
 除細動器の操作は大変単純で、医師でないと操作できないものではありません。ただ、心臓の状態の把握や、通電のタイミングについては、間違えるわけにいきません。特に通電のタイミングが重要で、心臓周期の前半、T波が現れるときに通電すると、心室細動になる可能性があります(このことは先ほどほどおバーナード・ラウン博士が明らかにされました)。とはいえ、このタイミング自体の判断は、熟練した医師でないと分からないというものではありません。素人でも、ちょっと教えてもらえれば、すぐ、心電図を見て判断できるようになりますし、機械的に判断することもできます(心電図の波形をコンピュータで解析して診断支援するシステムは古くからあり、医師でもそれに頼っている人は結構います)。
 であれば、心室細動による突然死はそこら中で発生していますから、救急車の救急隊員が使用できるべきです。ということで、米国では以前より、救命士が除細動装置を使うことができました。しかし、日本では、つい最近まで救急隊員が除細動装置を使うことはできませんでした。ようやく、平成3年に、救急救命士法ができ、「医師の指示の下」で、除細動することができるようになり、さらに、平成16年から個別に指示を得る必要がなくなりました。
 また、医師や救急車の到着を待っていては到底救命できない場合もありますから、駅や空港などの人が多く集まる場所や、スポーツ施設などで、医療職以外の人間が対応できるようになっていると救われる人が多くいます。日本では、平成16年7月に一般人の使用を認める報告書が出され、現在、色々なところに「自動体外除細動装置」(除細動するタイミングを機器が教えてくれるので、一般人が安全に使用できる)が設置されつつあるのはご存知の通りです(このページをみると設置場所が分かります)。また、このページが比較的正確で詳細な情報を提供しているようです。

 ところで、除細動器は、一旦心臓が止まって脳がダメージを受けた方を蘇生することも可能です。ということは、除細動器が、遷延性意識障害や脳死状態を作り出すこともにもなり、これまでなかった倫理的な問題を産み出す場合があります。「ER 緊急救命室」でも時々この問題が取り上げられていますね。

 ただ、多くの場合、除細動器の技術は、極めて単純安価に、人の生命を救える(しかも、完全に救える場合も決して少なくない)すばらしい技術であり、「医療経済」的にいっても、ある意味理想的な医療技術といって良いと思います。
【tilte, subtilte】
 Flatlinersフラットライナーズとは、「心電図のラインがフラットになった人々」という意味ですね。flatline,あるいはflatliner造語ではなく、辞書をひけば出てくる単語です。

【books】
【videos, DVDs入手しやすさ】★★★
 レンタルDVDが出ていますが、置いていないショップも多いと思います。ネットレンタルショップが便利でしょう。

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by harufe | 2005-07-26 03:42 | 基礎医学と医療制度

コーマ coma (1978/US)

臓器移植、脳死、臨床研修制度

【staffs】監督・脚本 :マイケル・クライトン
出演:ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド(Susan Wheeler)、マイケル・ダグラス(Dr. Mark Bellows)、エリザベス・アシュレー(Mrs. Emerson)、リップ・トーン(Dr. George)、リチャード・ウィドマーク(Dr. Harris)、ロイス・チャイルズ(Nancy Greenly)
【prises】(not worth mentioning)
【my appraise】★★★-(3 minus per5)
【prot】
 スーザンはボストン記念病院で実習する優秀な医学生。同じ病院で働く恋人のマークは、チーフレジデントを目指し野心満々の研修医。
 ある日、スーザンの親友ナンシーが、ボストン記念病院で人工妊娠中絶を受けるが、全身麻酔から覚めず、植物状態になる。確率的には起きること、というマークの説得にも、スーザンは納得しない。
 スーザンは、なにか原因があるはずだと、他の昏睡患者のカルテを調べ始めるが、そこで発見したものは…。
医療サスペンス小説の泰斗にして医師のロビン・クックのベストセラーを、同じく医師で、後の大ヒットメーカー、マイケル・クライトンが監督を務めた作品。
【impression】
 「良質なB級サスペンス」といったところだろうと思います。
 見て損はないでしょう。
【staffs】
 後半、主演のジュヌヴィエーヴ・ビジョルドが大活躍する活劇となります。彼女、1999年「氷の接吻」以来、見かけなくなりましたが、「1000日のアン」 (1969)ではオスカーでノミネートされるなど、70年代に活躍した女優。一部に熱狂的なファンもいたようです。
 それから、エド・ハリスのデビュー作がこれ。そのほか、トム・セレックモも出ている。マイケル・ダグラスを含め、みんな若い。

【medical view】
 この映画が封切られた時代には、免疫抑制剤シクロポリンの開発など、臓器移植技術が飛躍的に向上しました。その結果、臓器移植が「手軽」になりつつあり、そのニーズがどんどん高まりつつありました。この映画のやや後の数字では、1983年に全米で172件だった心臓移植件数は、1997年には2292件になっています。
 一方で、皮肉なことに、交通事故防止対策が成功すると、健康で臓器移植に「都合」の良い臓器が得られにくくなります。需要増加の一方で、供給が極端に不足してくるということです。結果として、現在では、それまで諦めていた死に、希望が生まれ、一方で絶望が生まれるという現象が生じているのです。
 この映画は、このような将来を見透かしたように「臓器工場」を素材にしてサスペンスを構成しており、ロビン・クックらしい先見性をいかんなく発揮しています。
 ところで、この映画では、遷延性意識障害を「生産」し、その患者から臓器を調達する仕組みが想定されています。一般に、この遷延性意識障害と、脳死状態が混乱されている場合が多いようです。しかし、両者は、全く異なるものです。「脳死」は脳幹が活動を停止し脳波がフラットになっており、人工呼吸器に接続しない限り生き続けることができない(また、人工呼吸器に接続したとしても、数時間から数日のうちに死に至ることが多いとされている)状態であるのに対し、「遷延性意識障害」は、意識がなく、栄養は中心静脈栄養など輸液に頼ることになるが、呼吸は自発的で、脳も活動している状態です(「植物状態」と呼ばれることがあります)。「遷延性意識障害」のままで、何十年も生き続ける人も決して珍しくなく、希に意識レベルが回復することもあるとされています。
 ということで、両者には決定的な差があり、日本を含め、脳死を死と認め、臓器提供者となっているのに対して、遷延性意識障害を死と認める国はありません。ただ、脳死は明確な線引きができるのかというと、やはり心臓死に比べれば曖昧なところが遺っていることは間違いないようです。
 人工呼吸器と高カロリー輸液の2つによって、それまで当然死を迎えていた人々が救われるようになったことは、すばらしいことです。しかし、これらによって、人間の生と死が曖昧になり、倫理的な課題を新たに生じさせていることは間違いないと思います。

 さて、それから、この映画をみるのに、アメリカと日本における、医学生や研修医(レジデント)の位置づけの違いを理解しておいた方が、より分かりやすいだろうと思います。
 スーザンの恋人マイケル・ダグラス演じるマークは、チーフ・レジデントをねらっている野心家となっています。チーフレジデントを直訳すると、主任研修医、つまり研修医のリーダーです。日本で、一般的に、研修医のリーダーになるってのは、偉くもなんともないですから、チーフレジデントが偉いとはとても思えないわけです。それに、スーザンだって、医学生にすぎないのに、こんなに診療に立ち入ることが可能なのか?って、日本の感覚だと思ってしまいます。

 実は、アメリカでは、教育病院において診療を担うのは、1年目の研修医と医学生5~6人のチームと2~3年目研修医であるチームリーダーです。このチームに対して、2~3名の教官であるスタッフドクターが教育指導監督するわけですが、日頃は、研修医+医学生で診療がまわっているという構造です。ですから、チーフレジデントというのは、日常の診療に責任を持つ、結構偉いポジションになります。
 日本では、医学生が臨床で戦力として期待されていませんし、研修医1~2年目がチームリーダーとして診療の中心になるとは考えられません。
 そもそも、2003年まで、臨床研修は義務ではなく、努力義務であって、そういった臨床研修システムそのものがありませんでした。したがって、医学部を卒業し、ペーパーテストを合格すれば、法制度上は開業することも可能でした。最近になってようやく、医学教育に関する制度改革が進められており、昨年から、新医師臨床研修制度がスタートし、2年間の臨床研修が必須化されました。その中で、臨床研修病院が様々な研修メニューを提供し、研修医が研修を受けたい病院を選ぶマッチングというシステムが動き始めました。結構、大きな動きが起こっており、大学病院以外の病院に多くの研修医が希望し、なかには民間病院の中にも(亀田総合病院など)相当高い倍率になっている病院があります。この結果として、大学病院が人事に対する支配権を失い、医学部の教授の特権的地位も失われる危惧が生まれています。これに危機感をもった大学病院側は、最近、新医師臨床研修制度に対して見直しを訴えた…という話を聞きました。全く馬鹿げた話です。大学病院を中心としたシステムにも良いところはありますが、専門分化が進めば進むほど、今の仕組みで、縦割りで、医療が標準化されないわけですから。
 近いうちに、大学病院の診療の標準化をDPCで進めていくことが想定されますから、大学病院本位主義の医療体制は早晩崩壊していくことでしょう。このあたりは、『白い巨塔』で触れることにします。

 ところで、この映画では、麻酔事故(結局それが陰謀だったわけですが)が続発するにもかかわらず、「確率的にはあること」などという理由がまかり通っています。さすがに、今じゃあ、この理屈は通らないでしょうね。

【tilte, subtilte】
 「昏睡」と素直に日本語にしなかった理由が分かりませんが、「コーマ」も悪くはないような気がします。

【books】
 ロビン・クックの原作「コーマ」は、ロビン・クックのデビュー作。ジェンダー的には問題のある表現も多いものの、30年前のアメリカの状況が分かって興味深いです。映画は、ナンシーの病気とか設定が一部異なるところもありますが、基本的に、この原作に忠実に作成されています。
 アメリカにおける研修医の位置づけや医学教育については、「ヒポクラテスたち」で紹介した赤津氏の著作の続編「アメリカの医学教育(続)スタンフォード大学病院レジデント日記」と、田中まゆみ「ハーバードの医師づくり」が読みやすいです。

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by harufe | 2005-07-24 17:13 | 基礎医学と医療制度

ヒポクラテスたち (1980/Jpn)

医学教育

【staffs】監督・脚本:大森一樹
出演:古尾谷雅人(荻野愛作)、伊藤蘭(木村みどり)、光田昌弘(河本一郎)、狩場勉(大島修)、柄本明(加藤健二)、西塚肇(王龍明)、真喜志きさ子(中原順子)、小倉一郎(西村英二)、阿藤海(神崎靖邦)、内藤剛志(南田慎太郎)、金子吉延(渡辺大介)、斉藤洋介(本田俊平)、加納省吾(高木敬三)、宮崎雄吾(野口英雄)、池内琢磨(中原剛)、牟田悌三(中原虎一)
【prises】1980年 キネマ旬報ベストテン第3位、1980年報知映画賞最優秀主演男優賞(古尾谷雅人)受賞
【my appraise】★★★-(3 minus per5)
【prot】
 洛北医科大学のポリクリ(臨床実習)で同じ班となった六回生の荻野とその仲間達は、初めて医療の現場に触れ、様々な想いをえがく…。
70年代の若者のやり場のない不安、不全感を見事に描いた作品。
【impression】
 一般の大学生とはやや異なる医学生のモラトリアムを鮮やかに表現しているように思います。大森一樹監督は、比較的こだわりなく映画をつくる人だと思っていましたが、この作品は、自分の経験(大森氏は京都府医大出身の医師、臨床経験無し)を活かし、かなりこだわって作った作品のように感じました。
【staffs】
 医学生木村みどりを演じているのは上映時25歳の伊藤蘭です。この映画封切りの2年間にキャンディーズが解散しており、この映画は解散の翌年に撮られたものと思われます。
 最近、伊藤蘭はテレビドラマ(特にサスペンス物)には欠かせないタレントになっていますが、元々キャンディーズ結成前には、日大芸術学部演劇学部在籍したというから、きちんとお芝居をしようという心得がある女優さんなのです。
 確かに、この映画でも、演ずる役柄を理解した演技をしているように見受けられます。他の俳優さんが、「自分を演じること」で存在感を出している中で、彼女だけがきちんと演じようとしている、それが映画の筋と一致するため、よい効果を出しています。

 ところで、2000年に医師国家試験合格者にしめる女性割合は30%を超え、ここ数年は34%程度です。データが発表されている1991年が19.2%ですから、ここ15年でかなりの勢いで女性比率が高まってきたことが分かります。お勉強が得意な女性の職場として人気が高まっているということでしょう。ただし、医療の世界は、一般の世界と比較してもあいかわらず男性優位(特に外科系)ですから、結局、仕事を続けていけない女性医師も多いです。経済力とステータスを持つと憧れられる女医ですが、今の環境の中で、「お嫁さん願望」を持つ女医も少なくないです。そうなると、特に国公立大学のように、医師養成の大半を税金で行っている場合、女性医師が仕事を継続していけない状況では、税金が有効に使われなくなっているという意見もあります。しかし、これは、まあ、医療の現場の側の問題であって、女性医師の側の問題ではないでしょう。確かに、明らかに腰掛け的な気分の方もいないわけではないですが、それは、どんな世界でもある話です。
 話がもどりますが、この映画の時代、データはありませんが、医師国家試験の合格者の中で女性はおそらく10%以下、先輩や上司には女性がほとんどおらず、今よりもっともっと女性が仕事を続けづらい環境だったと思われます。こういう背景も想定しながら、伊藤蘭の演技をみると、なかなかプレグナントであります。

 手塚治虫氏が大学の小児科の教授(ちょい役)で出演しています。彼は、ご存知のように医師免許をもち、ティーテルアルバイト(学位論文)も出し医学博士も持っているんですね。奈良医大(といっても、医専)出身ですから、関西の医大という共通項はありますね。ただ、大森氏と同じく、ペーパードライバーですから、ブラックジャックでも、かなり怪しげな知識に基づいていたため、抗議を受けて単行本ではお蔵入りしたものもあるようですね。しかし、彼のブラックジャックが後の世代の医師にもたらした影響は甚大であり、その貢献は、強調しても強調しすぎることはないでしょう。

【medical view】
 日本の医療制度の課題の1つに、医師養成システムがあげられてきました。
 医学生時代は、国家試験に受かるための詰め込み教育(特にいわゆる「新設校」では)、そして、医師国家試験に受かれば、制度上医師ということで、どんなベテランだろうが、どんなに技術が高かろうが、国家試験に受かったばかりで全く臨床経験や技術のない医師と、診療報酬上同じ評価を受ける。
 戦後まもなくできたインターン制度は、学生運動の中で解体され、研修は「努力義務」でしかありませんでした。ほとんどの医師は、臨床研修を受けていましたが、その臨床研修機関が大学病院であったため、個々の医師は、学生時代から一貫して、同じ系列の病院で過ごすことになり、大学医学部が医師人事を一手に握り、医学部の臨床系教授の権限が強くなりすぎた(この当たりは、「白い巨塔」のところで再度述べます)。また、東大系とか慶応系程度の学閥で住んでいたうちは、まだグローバルでしたが、各県の各大学がそれぞれ独立しはじめ、大学間での人事交流がほとんどなくなると、医療技術の標準化や切磋琢磨が行われにくい環境も醸成されてきました。

 アメリカの医療には批判も多くありますが、医学教育については、高いレベルにあることに反対する人はいないでしょう。そもそもアメリカでは、歴史的な経緯もあり、第1に、大学卒業した後の専門職教育として医学校が位置づけられており、大学4年+医学専門教育4年というスタイルをとっていること、第2に、大学が附属病院を持たない場合が多く、医学教育の中で臨床教育が独立した地位を与えられていること、の2つにおいて大きな差があります(例えば、有名なハーバード大の医学校でも、附属病院を持たず、関連病院との実質的協力と歴史的な経緯で結ばれている(きちんとした契約関係を結んだのは最近なのだそうです))。
 このような仕組みの中で、アメリカの医学校の4年生の臨床実習は、日本の大学6年生のポリクリとは相当レベルが異なるようです。日本では、この映画にあるように、自分の大学の附属病院の中で、浅く広く、いわば「お客さん」として見て回る程度なのに対して、アメリカ医学校では現場での知識・実践を相当たたきこまれる(一定の診療行為はやらせる)ようです。分かりやすいのはTVドラマERの第1シーズンでカーター君がやっていたことと、この映画を比べてもらえれば良いと思います。
 このようにスタートラインからして違っていますから、当然のことながら、医師免許を得て後の研修医(レジデント)のレベルも相当異なってきます。これは、昨年からスタートした新医師臨床研修制度の下でも、あまり変わりはありません。詳しくは、『コーマ』で述べたいと思います。
 
【tilte, subtilte】
 「ヒポクラテス」は、古代ギリシアの医師。迷信や呪術ではなく、臨床の観察と経験を重んずる立場をとり、医学に科学的な基礎を重視しました。医師の倫理についても論じた「ヒポクラテスの誓い」は今でも、医学教育の中で用いられています。

【books】
 映画の中で、セシュエー「分裂病の少女の日記」やマイケル・クライトン(ハーバード卒の医師でもある(大森氏とちがってアメリカでレジデントを経ているので立派な医者))「緊急の場合は」が効果的に使われていました(おそらく、大森氏が医学生時代に熟読した書籍か)。ただ、片口安史の「新・心理診断法」はロールシャッハテストの判定やスコアリングの代表的な参考書であって、精神科医や臨床心理士でもない主人公の恋人順子がこの本を持っているのは、違和感があり、リアリティに欠ける。
 アメリカの医学教育については、最近、色々と出ていますが、一般の方にも分かりやすいのが赤津晴子「アメリカの医学教育」です。赤津氏は、聖心女子大文学部卒業後、上智大理工学部大学院を修了後、渡米し、ハーバード大で公衆衛生学科を修了し、ブラウン大医学校で医師免許を取得しており、この書籍では、その経験をもとに、アメリカの医学教育の魅力を余すことなく語っています。

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by harufe | 2005-07-23 19:34 | 基礎医学と医療制度

赤ひげ (1965/日)

「赤ひげ」とは~名医の条件

【staffs】監督 : 黒澤明
出演 : 三船敏郎(新出去定(赤ひげ))、加山雄三 (保本登)、土屋嘉男(森半太夫)、江原達怡(津川玄三)、香川京子(狂女)、山崎努(佐八)、二木てるみ(おとよ)、頭師佳孝(長次)、藤山陽子(ちぐさ)、内藤洋子(まさえ)
【prises】1965年キネマ旬報ベスト1、キネマ旬報監督賞(黒澤明):ブルーリボン最優秀賞、主演男優賞(三船俊郎)、助演女優賞(二木てるみ):毎日映画コンクール日本映画大賞:ヴェネチア国際映画祭主演男優賞(三船俊郎)
【my appraise】★★(2 per 5)
【prot】
 保本登は、長崎でオランダ医学を学び、江戸に帰ってきた。学んできた医学をもとに、立身出世をめざす意気盛んな若者である。
 父親に命じられ顔を出した先は、小石川療養所。そこでは、「赤ひげ」と呼ばれる療養所長を含め3名の医者が、貧しく行く当ても希望もない多数の人々を治療していた。そして、保本の意志とは裏腹に、彼は、小石川療養所で住み込み医師として働くことを決められていたのだ。
 留学中の婚約者の心変わりもあり、最初は反発し意固地になる保本であるが、次第に赤ひげの患者に向かう姿勢に共鳴していく…。
【impression】
 日本を代表する映画監督黒澤明の中期の傑作で、原作者の山本周五郎に「原作よりもいい」と言わせしめたとか。
 黒澤明らしいヒューマニズムに溢れた作品なのですが、より重要な黒澤の要素である娯楽作品としての造りが影を潜めているため、私はあまり評価していません。狂女(香川京子)や佐八(山崎努)のくだりに、エンターテイナーとしての黒澤の片鱗が垣間見られますが、全般に、内省的で意外性の少ない映画になっています。退屈するというほどではありませんし、それなりに、楽しめる作品ではありますが、ドキドキ、はらはらする映画ではありません。
 「羅生門」「七人の侍」で国際的な評価を確立していた黒澤明が久々に国際舞台で脚光を浴びた作品でもあります(この作品を最後に、三船俊郎は黒澤作品に登場しません)。この作品の後の作品は、「影武者」「乱」など興行的には成功し、それなりの評価を受けた作品はあります。ただ、中期と比較して内容的に見るべきものがなく、「赤ひげ」を黒澤最期の佳作という見方もできるでしょうか。
 黒澤明監督は30作中で、中期までに23作を残していますが、その中に、医療を主題に扱った映画は、「赤ひげ」を入れて3作品(「酔いどれ天使」(1948)、「静かなる決闘」(1949))あります。比較的、医療こだわった監督といって良いように思います(その他は、野村芳太郎監督、大森一樹監督(医師免許を持っているのである意味自然ですが)でしょうか)。
 初期の2作品は、この作品と異なり、荒削りですが、ヒューマニズムと娯楽性・活劇性のバランスのとれた作品となっています。ヒューマニズムを語るためには、医療という素材が扱いやすかったのかもしれません。
【staffs】
 保本登が長崎留学中に心変わりされるのが藤山陽子演じる「ちぐさ」、そして、映画の最後の方で、あたかもその代役かのように「ちぐさ」の両親が縁談を進めるのが「ちぐさ」の妹、内藤洋子(右写真)演じる「まさえ」。
 美人でしとやかなタイプの藤山陽子と、今風(当時)で妹的でありながら小悪魔的な内藤洋子(本当かな?)の使い分けが、黒澤監督らしいといえば、黒澤監督らしい。
 内藤洋子さんは、喜多嶋舞さんのお母さんなんですね。

【medical view】
 「良い医者」の代名詞として「赤ひげ」が使われます。漫画「ブラックジャックによろしく」以降、手塚治虫の「ブラックジャック」という言葉も使われるようになってきましたが、まだ「赤ひげ」のほうが一般的でしょう。
 ただ、実は、私は、「赤ひげ」=名医とする風潮に相当疑問を感じています。

 「赤ひげのような医者」と誰もが使う表現ですが、実際に、映画「赤ひげ」を見たり、原作の小説を読んだことがある方は、実は少ないように思います。その割には、「赤ひげ」の言葉が人口に膾炙しており、またそのイメージは、なぜか、共通しているように思います。まず、第1に、貧しい人からお金をとらず、金儲け主義ではない、第2に、患者や家族のために親身になってくれる、更に第3に腕がよい、といったイメージではないでしょうか。
 さて、この3つの要件を、映画「赤ひげ」に照らして合わせると、どうでしょうか(映画は原作に大変忠実に作られていますので、原作の小説に照らし合わせても同じです)。
 まず、第1の「貧しい人から金をとらない」という「赤ひげ」要件です。確かに映画の中で、赤ひげは、貧乏な人にはお金をとらないで診療しています。しかし、これは、小石川療養所が、幕府が経営していて、お金のない人を無料でみる医療機関というだけで、実は当たり前です。だから、偉いのは、赤ひげというより、幕府、あるいは、小石川療養所を作った徳川吉宗ということです。
 ただ、小石川療養所は、決められた予算の範囲で診療を行う医療機関のようです。そのため、患者が増えて、多くの診療を行うと、決められた予算をオーバーし、赤字になる仕組みです。これは、多くの欧米の公的な医療機関と同様であり、一方で、現在のわが国の公的医療機関とは異なります(わが国では、公的な医療機関を含む全ての医療機関は、患者が増えれば、その分が診療報酬として支払われている)。
 そのため、赤ひげは、より多くの貧しい人の診療を行うために、お金持ちからべらぼうな代金を要求して、経営にまわす努力をしています。これは確かに、なかなかできないことです。ただし、現在のわが国ではそんなことをする必要はありませんので、それを「名医」の条件にすることはないでしょう。また、欧米の病院の経営者が寄付を募ったり、チャリティーパーティをやるために奔走しているみたいなもので、経営トップとしては、当たり前の行為といえるかもしれません。金持ち患者を脅すより、寄付を募る方が、紳士的かもしれないですし。
 という意味で、貧しい人からお金をとらない…というのは、赤ひげは別に偉くありません。医師の鑑というより、経営者としては一定の資質を備えているということは言える程度でしょう。
 「金儲け主義」でないというところが、赤ひげの優れたところと考えられているのかもしれません。というのも、医療は、通常、患者側が自分の状態を判断し具体的に何をどうしてほしいか決められません。現在の日本の保険制度(正確には「診療報酬制度」という料金制度では)、やればやるだけその分収入になる(「出来高制」といいます)か、決められた額が支払われるか(「まるめ」又は「定額払い」)のどちらかです。お金儲けに走るとすれば、「出来高制」の下では不要な診療をたくさんやる、「まるめ」の下では必要な診療をやらない…ということになります。「金儲け主義」=適切な医療を行わない医師、ということになります。そこに、清貧の赤ひげを求めるということになるのでしょうか。
 しかし、この考え方には意義を唱える方がいます。漫画「ブラックジャックによろしく」に登場する心臓外科医のモデルになったという南淵明宏氏は「いい医者・いい病院の見分けかた」の中で、「病院のレベルは医者の乗る車でわかる」と喝破しています。どういうことかというと、「好い病院は患者が集まる、患者が集まれば病院の経営状態も良い、経営状態が良ければ医師にも相応の報酬を支払える、したがって医師が良い車に乗れる、だから病院の駐車場で医師が良い車に乗っていれば良い病院だ」…ということです。
 現状からいえば、この意見には異論がないわけではありません。
 ただ、優れた医者が、余裕のない生活を送らないと医療が成り立たないというのは、大変困った仕組みです。
 もちろん、「金儲けが出来る」という気持ちだけで医師を目指す人が増えることは、困ったことです。医師には高い倫理性と人間性を持っていてしかるべきでしょう。しかし、高い教育と技術を身につけた者が、清貧に耐えなくてはならない…というのは、果たして正しい姿でしょうか。普通の人間を基準にすると、努力しても清貧…というのでは、どうしても、真面目に努力することへの動機づけが弱まります。また、「衣食足りて礼節を知る」を知るという言葉通り、一定の安心できる生活基盤があってこそ、倫理性と人間性が発揮しやすくなるのではないでしょうか。そもそも、例え「金儲け」が好きであっても、腕が良く、患者本位の医師は、優れた医師として歓迎すべきではないでしょうか。
 医師がリッチであることが嫌われるのは、ジェラシーもあります。「成功した人に対する嫉妬心」は、誰もが持つ者です。それはそれとして、名医の条件に清貧であることを入れる必要はないと思います。
 この点、現代版名医である「ブラックジャック」は、その技術に対して、法外な料金を要求し(医師法無視の自由診療だからですけど)、「患者の命を懸けて手術する医者が十分な金をもらってなぜ悪いんだ!」と喝破し、ある意味で、「健全」です。なお、彼は、お金のない困った方には無料で手術するような「赤ひげ的」なこともやりますが、保険がきかないのですから、自慢するほどのことではないでしょう。
 とはいえ、現在のところでは、「医師がリッチになって何が悪い」と言い切りにくい状況にあります。そのためには、まず、医師の選抜や教育の際に、倫理性と人間性の欠けた「金儲けだけ」が目的の者を排除する必要があります。また、何よりも、患者の側に、「いい加減で儲けているのか」「まじめにやって儲けているのか」を見分ける消費者性やそれを支える情報開示が要求されるでしょう。

 さて、この観点から気になるのが、「赤ひげ要件」の第2、「患者・家族に親身」です。
映画では、赤ひげは、患者に対して、決して親切ではなく、無骨でぶっきらぼうです。本人や周囲の者が何といおうと、自分が患者のために正しいと思うことは貫き通します。つまり、「親身=親の身になる」といっても、父親的な親身なのです。これは、ブラックジャックも同様です。
 この「父親的親身」を名医とするところが、私には、やや心配な点です。「父親的親身」(パターナリズム)は、お医者様に全てをお任せする「お任せ医療」に通じます。「医師と相談しながら、自分で決める」という態度ではないわけです。「自分で決める」からには、自分で情報を集め、勉強し、判断する必要がありますが、それを放棄しているわけです。
「難しいことは分からない、ボタン1つで動くこと」は電化製品に要求されることでしょう。電化製品と医療を一緒にするのもなんですが、消費者とすれば、その方が有り難いことは間違いないです。ただ、電化製品は、優れているかどうかは、買って使ってみればすぐ分かります。 しかし、医療はそうはいきません。つまり、消費者として賢くなることが要求されるわけです。
 消費者が賢くならなければ、インチキをして儲けているのか、技術が高くて儲かっているのかが、区別できません。そうなると、儲けている=悪い医者という図式も否定できなくなります。
 人が「頑固オヤジ」を求める理由は、「それが楽」というだけ以外に、「愛想でごまかしていない」というのもあるでしょう。さらに、失われつつある父親=絶対者を求めたいというメンタリティがあるのかもしれません。
 もちろん、医師が、頑固で信念を持つことは、悪いことではありません。しかし、映画の中の赤ひげのような頑固さを名医に条件に加えるのは問題があります。そこに人は「この人に任せておけば間違いがない=自分は何も考えなくても良い」という、心持ちがあると思うからです。

 私が、未だに何十年前の映画や小説をもとに、「赤ひげ」を名医とするのに疑問を感じるのは、以上の理由です。

 さて、最後に、蛇足のようになりますが、赤ひげ要件の第3「技術が高い」です。
 実は、映画の中で、赤ひげの医師としての腕の良さは、全く登場しません。ただ、名医だということになっていて、大名からお金をふんだくる場面はでてきます。むしろ、「あらゆる病気に治療法などない」とか「医者は症状と経過は認めることができるし、生命力の強い個躰には多少の助力をすることもできる、だが、それだけのことだ、医術にはそれ以上の能力はありゃしない」と開き直っております。
 ある意味、当時の医療水準からすれば正直で「無知の知」的なレベルの高さは感じます。ただ、技術が高いことは全くうかがい知れないところです。

【books】
 原作は山本周五郎「赤ひげ診療譚」。
 周五郎は、1903年生まれ(黒澤明は1910年)。大衆娯楽雑誌に執筆活動を続け、「純文学」を重視するわが国に文壇では黙殺されがちでした。エンターテイメントを追求したという意味で、黒澤明と相通じるところがあるような気がします。ただ、黒澤が「巨匠」と芸術家として祭り上げられたのに対して、周五郎は直木賞固辞を初め「文学賞」など既成の権威に敢然と抵抗したのだそうです。
 『赤ひげ診療譚』は、1958年「オール読み物」に8回連載され、TVドラマ化もされ人気を集めたのだそうです。
 原作の「おくめ殺し」の章以外は、原作に忠実に作られた映画です。
【videos, DVDs】
 04年春に、黒澤明の映画はDVDとしてレンタル・リリースになりました。まともなショップなら、この作品も置いていることと思います。

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by harufe | 2005-01-04 21:56 | 基礎医学と医療制度

エデンへの道 -ある解剖医の一日-: der Weg nach Eden(1995/独)

剖検

【staffs】監督 :ロバート・エイドリアン・ペヨ
出演 :ケシェリュー・ヤーノシュ
【prises】(not worth mentioning)
【my appraise】★★★★+(4 plus per5)
【prot】
 ブタペストの病理医ヤーノシュの日常を綴ったドキュメント。
【impression】
 日常としての解剖が、淡々と非日常的に展開される。モノとしての死体を通じて、生と死を考えさせられる真面目なドキュメント。
 病理医ヤーノシュの職業としての剖検が、自身の内面や日常との対比で描かれているが効果的。
 死体を扱っている映画ということで、やや際物的な扱いを受けている場合があるようですが、私は、この作品を、大変真面目な作品として高く評価します。

【medical view】
 副題の「解剖医」という言葉なのですが、ありそうでいて、実は存在しない言葉です。
 ヤーノシュの職業は、正しくは、「病理医」です。「解剖」という非日常性に目を奪われた日本語スタッフが、「解剖医」という名称を思いついたのだと思います。ヤーノシュが行っている解剖は、病理解剖であって、あくまでも死後の人体の臓器や病変を確認し診断を下すために行っている解剖です。解剖そのものが目的ではなく、解剖医というのはちょっと変です。
 「解剖医」という名前だけなら苦笑いで済みますが、ネット上の解説でヤーノシュが葬儀屋を兼務などとありました(TSUTAYA onlineなど)。どうやら、ヤーノシュがエンゼルケア(死化粧などの死後の処置)をしているのを、「葬儀屋」ととったのでしょう(確かに、日本で病理医がエンゼルケアまではやらないのが通常で、そのくらい荘厳な心がけで解剖を行うべき、と病理医は考えていると思います)。
 ところで、現在、わが国では、死後に病理解剖(剖検)するということがあまり一般的ではありません。ただ、診断・治療技術の向上のためには、本来、全てのご遺体を剖検すべきであるというのは、世界中の医療関係者が一致した意見でしょう。
 通常、剖検が行われる前に、医療スタッフの側から、解剖させていただきたいとご家族に申し出ることになります(医療ミスが疑われる場合などは、患者家族の側から解剖を依頼するケースもあります)。しかし、哀しみの中にある家族に急に「解剖」と言われても、なかなか受け入れられるものではない、というのが現状です。
 最近、特に剖検率が落ちているようです。病理医不足とか、患者・医師関係がうまくいっていない(患者側の権利意識の高まりと医師側のコミュニケーション不足・認識不足)とか、色々な説があるようですが、1990年前後は主要な病院だと、死後5割は剖検していたのではないかと思いますが、現在では2割を切る病院が少なくないようです。剖検率を高めるには、患者・医師が相互に信頼できる関係にある必要がありますし、医療従事者側にまじめに病因を探索しておこうという真摯な姿勢・体制が必要となります。したがって、剖検率が、病院の質の指標になるという考え方があるようです(患者家族に剖検を強いているような病院はないと信じたいです)。例えば、わが国では日本内科学会が認定する「認定内科医」「内科専門医」の教育病院では、内科剖検体数が16体以上あること,または内科剖検率が20%以上で内科剖検体数が10体以上あることが必須条件の1つになっています。
 ただ、剖検率が減ってきているのは世界的な現象のようで、原因の追及が必要な、深刻な事態だと思います。一般の人々が、死後の病理解剖の必要性を十分認識できるもらうような情報提供や啓発も必要なのではないかと思います。
 医学書院『週刊医学界新聞』の伊藤康太先生の2004年7月の記事が参考になります。
 それと、医学書院『内科臨床誌 medicina』2005年4月号より、「病理との付き合い方 病理医からのメッセージ」という連載が始まりました。主としてドクター向けの記事ですが、一般の人でも分かるレベルで分かりやすく書いてあります。
第1回医療のなかの病理学
第2回病理とのつきあい方

 全く余談ですが、医学書院は、ウエブに記事内容まで掲載せてくれているし、本当に有り難いです。それに、雑誌に依頼原稿を書いただけで『週刊医学界新聞』をずっと送ってくれるし、儲かるのかしら?と心配になってしまいます(記事を出版して儲けているようですが…)。

以前リンクしていた毎日ライフの記事はネット上から削除されています。

 私自身父親を一昨年に亡くしましたが、その際には、主治医(ウロ)から剖検のお申し出がありませんでした。主治医には相当無理をお願いしていたこともあり、また、最初の主治医が胃がんを誤診し、膀胱への転移を見落としていたこともあり、お願いされれば、他の家族を説得して喜んでお受けしようと思っていたのですが…。
 中核市とはいえ地方の市民病院(国保直診)では、剖検の体制もないのかしら…と思いつつ、失礼な気もして、こちらからは、申し出ませんでした。

 病理の仕事も、最近は生きた組織・細胞レベルを顕微鏡で検索する仕事が主となってきて、病理学=病理解剖というイメージではなくなっています。病理医は臨床では無くてはならない存在ですが、どちらかというと裏方のような存在で、臨床の要でありながら「基礎」という一括りで軽視される傾向にあるのが残念です。

 なお、犯罪や自殺などの異常死を扱うのは、法医学であり、そこで活躍するのが監察医で、そこで行われる解剖は「法医学解剖」です。特定の毒物や刃物などによって人体、臓器、組織がどのようなダメージを受けるかという点において、病理医とは異なる専門性が要求されるのです。
 また、養老孟司元東大教授で有名な解剖学という分野がありますが、ここでは正常な構造の人体の解剖をミクロマクロ的に研究するとともに、医学教育を行うところです。解剖学の専攻する医師を、解剖医とは呼ばないですね、やっぱり。
【tilte, subtilte】
 原題のder Weg nach Edenはドイツ語1年生でも分かる「エデンへの道」。
 副題の「解剖医」は上述したように、不適切な語句。更に、ビデオタイトルの「死体解剖医」は、キワモノ狙いとしか思えず、残念。

【books】
 森卓也さん『映画そして落語』で、本作品が取り上げられているようです(私は読んでませんが)。
【videos, DVDs入手しやすさ】★★★
 ビデオ・DVDともレンタルがリリースされています。レンタルDVDはなかなか置いていないようです。私は、DISCASでお借りしました。

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by harufe | 2005-01-02 12:56 | 基礎医学と医療制度