カテゴリ:ICD A00-B99感染症及び寄生虫症( 6 )

運命の瞬間(とき)/そしてエイズは蔓延した AND THE BAND PLAYED ON (1993/US)

B20-B24 ヒト免疫不全ウイルス[HIV]病

【staffs】監督:
出演:マシュー・モディン(ドン・フランシス博士)、アラン・アルダ(ロバート・ギャロ博士)、パトリック・ボーショー(リュック・モンタニエ博士)、ナタリー・バイ(フランソワーズ・バレ博士)、フィル・コリンズ(エディ・パパサノ)、リチャード・ギア(マイケルベネット)、スティーブ・マーティン(兄がエイズで死んだ男)、チャールズ・マーティン・スミス(ハロルド・ジェフ博士)、リチャード・ジェンキンス(マーク・コナント博士)、リリー・トムリン(セルマ・ドライツ博士)、アンジェリカ・ヒューストン(ベッツィ・ライス博士)、グレン・ヘドリー(メアリー・ガイナン博士)、デビッド・クレノン(ジョンストーン)、バッド・コート(「アンティーク」のオーナー)、チェッキー・カリョ(ウィリー・ローゼンバーム博士)、ウージー・カーツ(ジョンストーン夫人)、ソウル・ルビネック(ジム・カラン博士)、イアン・マッケラン(ビル・クラウス)、ローラ・イネス(血友病患者の母)
【prises】
第51回ゴールデン・グローブ賞作品賞(TVムービー/ミニシリーズ)ノミネート
【my appraise】★★★★-(4 minus per5)
【prot】
 1980年代、アメリカの大都市SF、LA、NYで、若く健康な男性が、リンパ節の腫脹やサイトメガロウィルスの感染、あるいはカポシ肉腫、カリニ肺炎といった極めて希な疾患に次々と倒れていく。彼らの共通項は、免疫機能の著しい低下、そしてゲイであること。CDC(アメリカ疾病対策センター)は、この事実をいち早くつかんだ。この「奇病」は、感染によるものなのか、それともゲイが乱用するドラックや極端な性習慣によるものなのか。やがて、この病気は、ゲイ以外にも広がり、エイズと名付けられた…。
【impression】
 ベストセラーのノンフィクションを、テレビ映画に相応のエンターテイメントとして、うまく料理しているように思います。また、豪華スタッフによって、テレビ映画とは思えない奥行きのある作品になっています。
 ただ、明らかにやりすぎも多いと感じます。原作では1登場人物に過ぎないドン・フランシス博士を映画では主人公にしたのまでは良いとして、彼を、徹頭徹尾「真実にいち早く明らかにし、社会に警笛を鳴らしていた信念の人」として、「エゴや官僚主義によって、真実が無視される社会」との対立を描こうとしたのは、明らかに真実を曲げていると思います。当時としてはマイナーなレトロウイルスを専攻していた日の当たらない研究者(ドン・フランシス)が、まだ原因不明の病気を、自分の専門に引き寄せて解釈するのはある意味当然でしょう。それがたまたま真実であったからといって、また、数多い仮説の中で、その仮説が受け入れられなかったからといって、社会の無理解を責めるのは誇張に過ぎると思います。後知恵で人を裁き、なんら教訓を得られないという愚をここでも繰り返しているのではないでしょうか。真実というものは、後生の人間が考えるほど単純ではないのです。
また、ドナルド・フランシスが実際には30代後半ににもかかわらず、20歳代にしか見えない俳優を起用し、同様にビル・クラウスは30歳代半ばにもかかわらず50歳代にしかみえない俳優を起用しているのが、全くもって解せないです。さらに、ガエタン・デュガが化学療法でスキンヘッドにしていたのを、ふさふさの髪にしているというのも、どういうことなのでしょうか。 
【staffs】
1983年1月3~4日、益々深刻になりつつある血液を通じた感染(特に、濃縮血液製剤に頼る血友病患者への感染)についての議論を行うために、ジョージア州アトランタに、CDC、FDA、赤十字、血液銀行、血友病患者等、関係者一同が集まりました。しかし、結局は、血友病の免疫低下が確認された程度で、具体的対策は決定されませんでした(これが、世界で最初に行われた、HIV血液感染に対する公的な議論・決定です)。
 さて、映画でも、このアトランタでの会議が取り扱われており、その席に血友病患者側(患者の母親)役で、『ER緊急救命室』のケリー・ウィーバー部長役でお馴染みのローラ・イネスが出演しております。
 ローラ・イネスも『ER緊急救命室』での意地悪な医師の役柄が板についていますが、この映画でもちょい役ですので、もう少し別の役柄をきちんと演じるところを見てみたいところです。

【medical view】
 エイズがアメリカの同性愛者の間で「奇病」として知られるようになったのが1980~81年。それをCDC(国立防疫センター)が免疫不全を共通とする症候群として警告したのが82年3月。その後、同性愛者以外の麻薬常用者や血友病患者にも感染者が広がっていることが分かり、アメリカ公衆衛生局が関係者を集めた会議で、AIDSという病名が採用された(それまでは、ゲイ関連免疫不全症候群(GRID: Gay Related immune deficiency syndrome)といった名前が使われていた)のが同7月です。
 翌1983年5月にはパスツール研究所のモンタニエが、サイエンス誌上で、ウイルス発見を発表しますが、世界的な理解を得られませんでした(これが結果的には正しかった)。1984年4月にはギャロ博士がウイルス同定を発表、同年9月抗体検査が可能となり、ウイルスが加熱により不活化することが明確になりました。ギャロのウイルスは、モンタニエのウイルスと同一で、どうやら、ギャロがモンタニエのウイルスを盗用したと…いったギャロの研究者倫理にもとる行為やモンタニエとの間とのごたがたは、映画にも描かれています。
 1996年に抗HIV薬の組み合わせでかなりの効果が期待できる(感染してもかなりの確率で発症を抑え、生命予後を延長できる)ことがわかり、現在では、少なくとも、高価な抗HIV薬を負担できる国・層にとっては、絶望の病ではなくなってきています。しかし、この映画で描かれているのは、HIVの治療に絶望しかない時代です(治療やワクチンについては、『ロングタイムコンパニオン』『フィラデルフィア』『マイフレンドフォエバー』『私を抱いてそしてキスして』『野生の夜に』等のエイズを扱った映画で述べます)。

 過去の疾病と人類の歴史を鑑みても、エイズの発見からHIVの発見、抗HIV薬の開発までのスピードは、20世紀の医学の進歩を如実に物語っているといえます。しかし、その一方、そもそも感染力の弱いエイズが、1980年代前半にアメリカで爆発的に拡大したこと、そして、その拡大に歯止めがかからなかったこと、この点を真摯にふり返ったのが、この映画(というより、映画の原作)です。

 エイズの爆発的な拡大には、当時のアメリカ社会的背景、つまり、性の開放とゲイの社会的認知という2つの流れがありました。また、ゲイの公民権活動が盛んとなり、大都市、特に西海岸のロス、サンフランシスコで強い市民権を得つつあったということも重要な背景です。
 ゲイ達は、それまでの後ろめたい罪の意識から開放され、そのエネルギーが性行動に向けられた面もあります。その結果、不特定多数と日に何回も性交渉を重ねる「バスハウス」の登場と加熱に代表されるような環境が醸成されつつありました。これに加え、肛門性交、肛門接吻、オーラルセックスといった多様な性行動が、様々な感染症の温床になっていたのです。1980年当初、サンフランシスコではゲイの3分の2がB型肝炎に感染し、アメーバー症、ジアルジア鞭毛虫症といった胃腸寄生虫病も猛威を振るっていました。映画にも登場したフレンチ・カナチアン航空のステュワード、ガエタン・デュカは、実在の人物で、「ゼロ号患者」と呼ばれていますが、たった1人のゲイの感染が瞬く間に感染を拡大させる構造がそこにはあったのです。

 さて、以上のような構造は、エイズが発見された後、徹底的な対策を講ずるための大きな障害ともなりました。

 まず、ゲイ達が、怪しげなドラッグを頻用することも含め、余りにも多様な性行動をとっていたために、免疫システムが破壊されたことに対して、様々な仮説と検証を必要としたことがあげられます。
 また、迅速で徹底的な対策が必要であったにもかかわらず、そうした対策がとられなかった背景には、ゲイ以外の人の無関心や反発がありました。多くの人々がゲイに限定された問題であると無関心であり、保守的な人々の中には公然と「神の下した罰」と宣言する人々もいたくらいです。当時は、レーガン政権が発足するなど、保守化の流れが強くなっている時期でもあり、この傾向は強められました。この背景には、ゲイが急速に社会的な権利を得たことに対する、反発もあったのではないでしょうか。
 さらに、感染症であることがある程度明確になり、行政が感染の温床となっているバスハウスを閉鎖しようとしても、長年虐げられてきたゲイ達は、それを、自分たちの権利の侵害と捉えました。ゲイ達の繊細な権利意識が、自分で自分の頸を締めさせたともいえるでしょうか。
 それから、これは、意外と知られていないですし、映画にも取り上げられていないのですが、公民権活動の中で権利を得つつあったゲイ達は、市民の義務も積極的に果たし、社会に認められようと行動をとっていました。そのために様々な活動やプログラムを行いましたが、その中に積極的に献血に参加するという活動があったのです。これにより、ゲイから、輸血者、特に濃縮製剤を使う患者に対する感染が拡大してしまったのです。運命の皮肉といわざるをえません。しかも、ゲイであるというだけで献血の場から閉め出すことは、「権利の侵害」として、アフリカ系アメリカ人達を含め大反対にあいました(これは、前述のローラ・イネスの登場場面にありましたね)。当時、アメリカの濃縮製剤に頼っていた日本の血友病患者へ感染が拡大したのには、こうした背景もあったのです。

 もちろん、政府機関の怠慢や血液銀行の利益を守ろうという姿勢(アメリカでは、献血事業は営利事業として行われています)にも問題がありました。権利や個人主義をベースとした、アメリカ民主主義社会が、結局何も決定できなかったという点を原作は克明に描いているようにも思えます。
 しかし、ここで述べたような社会背景がなかったとすれば、感染の拡大はもっと未然に防げたといって良いでしょう。

 さて、アメリカでは、本書を始め、エイズが拡大した過去の歴史について真摯な分析が進んでいます。何がエイズを拡大させたのか、我々は何を反省すべきか、その点について真摯に追求しているのです。
 しかし、我が日本では、どうでしょう。日本のエイズは、アメリカとは全く違う状況の中で感染が拡大しましたから、全く異なる分析が必要となるということです。しかし、そういった分析がほとんど行われていません。ジャーナリスト達は、「役人と製薬メーカーと学者達が、自分たちの利益を維持・拡大するために患者を犠牲にした」という大前提だけで、関係者を非難するだけでした。もちろん、怠慢としかいえない役人や、利己的な学者、自分たちの利益しか考えない製薬メーカーは存在しました。しかし、その構図だけで決めつけようとすることで、何を反省し、何を教訓とし、何を変えるべきかが、全く問われませんでした。
 櫻井よしこ氏のような、日本を代表とするジャーナリストが先頭にたって、ヒステリックに、後知恵で人を裁き、それを社会が喝采するという構図は、薬害エイズを生んだ社会と同じくらい空恐ろしいものと感じます。もちろん、政治や行政の側も真摯にふり返り、反省すべきですが、より知的でよりスケールの大きい本質的分析は、ジャーナリズムの役割のはずです。
結局、我々は、薬害エイズからはほとんど教訓を得ていないのです。また、こうした事件が起こるでしょう。
 この映画や原作を読むにつけ、日本が薬害エイズから何ら教訓を得ていないことに対して、日本の知的水準の低いマスコミやジャーナリストに大いなる責任があるように思えてなりません。
【tilte, subtilte】
 映画の原題は、原作のタイトルそのままです(ただし、原作のタイトルには、”Politics, People, and the AIDS Epidemic(政治、大衆とエイズの流行)”という副題がついています)。この原題”And the Band Played on(そしてバンドは鳴りやまず)”は、1890年頃アメリカでよく歌われた古い歌の題名だそうで、「みんながいつものことだと放っておいた」という意味なのだそうです。ただ、この映画では、それに、「エイズによって失われた命を悼む音楽が止まない」というニュアンスがうまく重なっていて、よい効果を生んでいます。

 その意味で、原作の邦訳のタイトル『そしてエイズは蔓延した』というタイトルは、原題の含蓄はないものの、なんとか合格点をあげられる邦訳ではないでしょうか。
 それに対して、映画の邦題はひどい。誤訳といっても良いと思います。そもそも『運命の瞬間』に該当する「瞬間」がこの映画の中にも、エイズをめぐる歴史的事実のどこにも存在しないのですから。いや、むしろ、「放っておいた」だけ、ということで、「運命の瞬間」がないところに、この問題の困難の本質があるのです。
 この邦題は、そういった映画の内容や本質には、全く興味がない日本語スタッフの安易さが伝わってくるようです。『誤診』もそうだでしたが、テレビ映画で、ビデオ、DVDのみ発売のため、スタッフもレベルが低いのでしょうか。それとも、こうした本質を理解しようとしないのは、それこそ、我々日本社会の本質なのかもしれないです。

今回は、随分、日本社会に批判的な文章になってしまいました…。


【books】
 原作『そしてエイズは蔓延した』はに分かれる大作ですが、読み応えのあるノンフィクションで、夏休みに頑張って読むのはいかがでしょうか。
【videos, DVDs入手しやすさ】★★
 レンタルビデオがリリースされていますが、よほど大きな店でないと置いていないです。アメリカではセルDVDがリリースされていますので、そちらを利用するというのもあるかもしれませんね。

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by harufe | 2005-08-14 07:35 | ICD A00-B99感染症及び寄生虫症

愛する (1997/JPn)

 A30 ハンセン病

【staffs】監督・脚本:熊井啓
出演: 酒井美紀 (森田ミツ)、渡部篤郎 (吉岡努)、岸田今日子(加納たえ子)、宍戸錠(知念)、小林桂樹 (上條老人)、上條恒彦 (奥原院長)、三條美紀 (稲村看護婦長)、岡田眞澄 (大学病院教授)、松原智恵子(シスター山形)
【prises】1997年 日刊スポーツ映画大賞受賞、新人賞(酒井美紀)受賞
【my appraise】★★(2 per5)
【prot】
 クリスマスの日、少女ミツは、幕張の路上で牛丼弁当を売っている沖縄出身の青年吉岡努に出会う。互いの中にある孤独に直感的に惹かれ合い、一夜を共にする。努はミツを避けるようになるが、ミツの愛はひたむきである。そんなミツに努も心を許すようになる。
 しかし、ミツの腕にある瘢痕が大学病院で重大な病気と診断され、山奥の療養所に行くように告げられる。その療養所はハンセン病の療養施設であり、長期の療養が必要と告げられる。引き裂かれる二人…。
【impression】
 本作は、原作の遠藤周作「わたしが・棄てた・女」の映画化であるが、映画化はこれが2回目。本作は、粗筋と大枠の設定をそのままとして、戦後復興期の時代設定を、現代に持ち込み、ハンセン病という難しいテーマに切り込んでいる(1回目の映画化では、原作を換骨奪胎し、ハンセン病の設定は用いられていない)。また、原作では、吉岡に婚約者ができミツとの付き合いを「遊び」と割り切ろうとしているのに対して、本作では吉岡がミツに対して、より真摯に向き合おうとしている。これらの極めて難しい設定を持ち込んだことは、熊井啓が遠藤文学に拘り、「海と毒薬」「深い河」に続き、本作を三部作目としたことと無縁ではなく、その意気込みを買いたい。
 しかし、残念ながらその試みは全く失敗している。遠藤原作の持つ、気恥ずかしく物哀しい純朴さの畳かけと、それによって自らの中にある欺瞞や稚拙が惹起されるという構図は全く失われ、手あかにまみれた「純粋さ」の安売りと不自然なストーリーにより、脱力させられる。酒井、岸田の熱演も虚しく、やはり、この難しい設定がこの作品の失敗の全てではないかと思う。
 繰り返しになるが、らい予防法廃止が進められている難しい時期に、このテーマに向き合おうとした監督の意欲は買うべきだろうと思う。
【staffs】酒井美紀は15歳でアイドル歌手としてデビューし、中山美穂の中学生時代役を演じた岩井俊二監督「Love Letter」(1995)で注目を集め(第19回日本アカデミー賞新人俳優賞)、1997年にはこの映画と大河原孝夫「誘拐」(第21回日本アカデミー賞・優秀助演女優賞受賞)で女優として羽ばたくかに見えました。しかし、その後、伸び悩んでいるのか、ドラマ「白線流し」がヒットしたのが仇となってTVで芸を擦りきれさせているのか、最近どうもぱっとしません。
 この映画でも、彼女しか演じられない部分を演じているように思えるのですが、日本の俳優にありがちな「単に自分を演じていることが演技として認められる」というやつなのでしょうか。
 是非、今後の活躍を期待したいところです。

【medical view】
 ハンセン病は、ライ菌という細菌によってもたらされる病気であり、中世ヨーロッパにおいて広い範囲で流行し、15世紀には、なぜだか欧州からほとんど姿を消した病気です。ライ菌が発見されたのは1873年で、効果的な治療法が発見されたのは20世紀に入ってから、にもかかわらずです。
 ハンセン病は人から人への感染が起こる病気です。しかし、現在では、そもそも排菌する者は感染者・発症者の一部であり、しかも極めて感染力が弱く、感染しても菌がほとんど死滅することが分かっています。したがって、幼児期や耐性が弱っている時くらいしか人から人への感染は起こらない病気です。また、化学療法により容易に完治する病気となっています。ただ、現在でも、排菌者との接触が全く無い場合に、感染を起こす場合があり、人から人への感染以外の感染経路があるのではないかと考えられていますが、よく分かっていません。そもそも、なぜ、突然流行が下火になったのかすら、本当のことが分かっていない訳ですし。

 化学療法が導入される以前、不幸にして感染し、侵入した菌が生き残ると、皮膚や神経で増殖を開始し、数年後皮膚に痛みのない痣が現れ、痣は拡大し腫瘤状になり、とりわけ顔面に発生し、特徴的な容貌の変化が起きました。また、知覚神経が障害され、感覚を失うことにより、傷を負っても気づかなくなり、化膿を繰り返し、最終的には壊疽に陥り、さらに、運動神経が障害され、筋肉が萎縮して手足が大きく変形することになりました。このような、特徴的な外見の変化が、他の疾患以上に極端に恐れられてきた大きな原因の1つでしょう。
 ハンセン病は、上述の通り、感染力が弱いにもかかわらず、過去、多くの国で、隔離・排除が行われてきました。特に、日本では、戦後、化学療法導入後も、無意味な法制度が廃止されるどころか強化され(1953年「らい予防法」成立)、厳しい隔離・排除が継続し、隔離施設の中での人権が極めて制限されていました。その後、関係者の積年の苦労が実り、1996年菅直人厚生大臣が過去の行政の誤りを患者・元患者に対し認めると共に、同年「らい予防法」が廃止されました。更に、2001年元患者が国家賠償を求めた熊本地裁の判決は患者側の勝訴となり、小泉首相が国側が控訴しないことで結審しました。

 さて、この映画、及びその原作である遠藤周作の「わたしが・棄てた女」では、ハンセン病と誤診される純朴な少女を通じて、ハンセン病者が受け入れざるをえない過酷な運命を描き出しています。この映画に対する当時の記事によれば、「完成した作品を見た患者たちの反応は、「長い間、言えなかったことを映画で語ってくれた」という」ものだったとのことです(正しくは、「元患者」だろうと思いますが)。
 それでは、この映画や原作が、ハンセン病の理解の一助となるのか、というと、そうではなく、むしろ差別偏見を助長するだけでしかない、と武田徹氏が「感傷主義」という言葉で喝破しています(【books】で所収書籍を後述)。まず、原作の時点では、ハンセン病はプロミンによって完治する病気であり、隔離そのものが間違っていたという事実に基づいていないという点が指摘されています。また、映画の時代設定の時点では、「らい予防法」廃止に向けての具体的な動きがなされている時期であり、療養所送致そのものが余りにも不自然であると指摘し、にもかかわらず、ハンセン病=隔離されて可哀想であるとする「感傷主義」は、ハンセン病=治らない、感染する、怖い病気という偏見を煽るに過ぎないとしています。
 武田氏の指摘は、映画や文芸作品として、正当に評価したとはいえないかもしれません。しかし、「表現」が前提としている事実が、誤った「常識」に乗っ取っている場合、いくらその表現が卓越していたとしても、「誤った常識を強化する」という点で非難されるべきものでありましょう。丁度、犯罪を煽るような表現が糾弾されるのと同じことだと思います。

 ハンセン病の不当な排除・差別・隔離の歴史、そして、それが特に日本においてなぜかくも過酷であったかについては、2001年熊本地裁判決を前後して、ハンセン病に関わってきた方々の真摯なる検討が進み、全体像が解明されつつあるように思います。ただ、この理解が、果たして、一般社会にとっての理解になっているか、あるいは、ハンセン病排除に苦しめられてきた人達の問題が解決しつつあるのかといえば、暗澹たる気持ちになります。
 ハンセン病の排除・差別・隔離の歴史は、「国家の犯罪」として、あたかも官僚や政治家の不作為の問題に歪曲化するのは、馬鹿げています。また、無知蒙昧でしかなかった医学界や、ハンセン病医療の権威・ハンセン病者の慈愛の父として朝日文化賞・文化勲章を受賞した故光田健輔氏だけの責任とすることも、事実を矮小化しています。丁度、薬害エイズ問題を、官僚や薬品会社あるいは医学界の権威だけの問題であるかのように非難することと同等であると思います。
 例えば、「戦後はプロミンが登場し、完全に治癒する病気となったのだから、排除・隔離は間違いだった」という説は、立法と行政を吟味する場、あるいは国家の責任論において、適切な論拠であるかもしれません。しかし、それ以前に、ハンセン病という病気が、少なくとも15世紀以降は極めて弱い感染力しか持たず、外来治療で十分であったこと、しかも、戦前から京都大学でハンセン病の外来治療を実践していた小笠原登によれば、プロミン登場以前からハンセン病は治癒する病気であったとしていること(元厚生労働省医務局長大谷藤郎氏のいわゆる「大谷証言」による)、にもかかわらず、排除・隔離が進められていったこと、こういったことが「常識」として伝え継がれていかないということは、残念な状況です(なお、前述の武田氏も、ブロミンの効果しか指摘しておらず、大谷証言を「常識」としていないようです)。
 また、ハンセン病の不当な排除・差別・隔離には、我々国民、社会の側がそれを認めた、あるいはそれを推進したという面があります。そして、それを促進した、表現や報道があったということは間違いありません。「ハンセン病者を可哀想」という「ヒューマニズム」こそが危険であり、「ハンセン病は治らないもの」「ハンセン病になると大変」という意識に基づいていたり、それを煽るものであったりします(実際に、ハンセン病排除で徹底的な悪者にされる光田健輔氏ですら、ヒューマニズムに基づいていたのですから)。
 そう考えると、「常識」を持つことの難しさと重要さを改めて感じるのでした。
【tilte, subtilte】
 原作のタイトルはディックミネの歌からとったようです。設定を変更したことにより(吉岡がミツを「棄てる」という設定がない)、タイトルが変更されたということと思われます。

【books】
 遠藤周作原作「わたしが棄てた女」は、上に述べたように、「感傷主義」に留まった結果、ハンセン病の正確な理解を閉ざすものですが、十分な理解を持ったうえで読めば、「感傷主義」の理解と、遠藤文学の面白さを味わえるはずです。
 原作及びこの映画について、ハンセン病理解の観点から批判した武田轍「描かれたハンセン病」は、沖浦和光・徳永進編「ハンセン病」に所収されています。わが国でなぜハンセン病がここまで不当な排除・差別・隔離を受けてきたかについて、様々な角度から、日本社会が犯してきた過ちとして解明しています。我々が当たり前としている、この社会を理解する上での、必読書でもあります。
【videos, DVDs入手しやすさ】★★
 セル・レンタル共に、ビデオしかリリースされていません。しかも、置いているショップもなかなかないようです。

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by harufe | 2005-07-17 10:58 | ICD A00-B99感染症及び寄生虫症

ベニスに死す(1971/Ita,Fra)

A00 コレラ

【staffs】監督:ルキノ・ヴィスコンティ
出演:ダーク・ボガード(Aschenbach)、ビヨルン・アンデルセン(Tadzio)、シルヴァーナ・マンガーノ(The Mother)
【prises】
第44回アカデミー賞衣裳デザイン賞(ピエロ・トジ)ノミネート
第24回カンヌ国際映画祭パルム・ドール出品
第25回英国アカデミー賞(1971年)作品賞ノミネート、主演男優賞(ダーク・ボガード)ノミネート、監督賞(ルキノ・ヴィスコンティ)ノミネート、撮影賞(パスクァリーノ・デ・サンティス)受賞、美術賞受賞、衣装デザイン賞受賞、音響賞受賞
【my appraise】★★★+(3 plus per5)
【prot】
 1911年初夏のヴェニス・リド島。心臓病の療養でドイツからやってきた作曲家アッシェンバッハは、ポーランド人家族に目をとめる。母親と姉妹と連れられる少年タジオの肢体と美しさに、彼の魂が揺すぶられたのだ。 
 しかし、ヴェニスには熱風が吹き込め、疫病コレラが流行をはじめ、アシェンバッハもそれを知ることになる。しかし、魂をタジオに奪われた彼は、ヴェニスを去ろうとはしなかった…。
【impression】
 ルキノ・ヴィスコンティの代表作の1つ。「地獄に堕ちた勇者ども」「ルードウィヒ/神々の黄昏」とあわせて、ドイツ退廃三部作と呼ぶのだそうで、「退廃と美」というものを極めたという感じがします。ただ、「退屈なだけ」という感想を持つ人も多いだろうと思います。なにしろ、退廃と退屈は似たようなものですから。
マーラー5番の第4楽章アダージョの美しさは言うに及ばず、「豪華絢爛な究極の耽美世界」とはこのことか、という感じであります。トマス・マンの原作では、主人公が文学者でしたが、その設定を変更しているのは、音楽の美しさを合わせ鏡にするためでしょうか。
ホテルは映画のために建設されたのをはじめ、徹底的な美術考証がなされたようです。今リド島に行っても、ただの海水浴場です(行ってみて、がっかりした)。
【staffs】
 中年男が美少年に憧れを抱く、と聞くと、尋常な話とは思えませんが、タジオを演ずるビョルン・アンデルセンの美しさは、アッセンバッハの陶酔への感情移入を可能といたします。まあ、感じない人もいるだろうが。
 ビョルウ・アンデルセンは、この映画以外はほとんど知られておらず、30年前には中島梓氏を含め、わが国の「やおい」の人たち(当時はそんな表現もなかったと思いますが)から、熱狂的な支持を集めていたようです。

【medical view】
 コレラは、19世紀初頭までは、ガンジス川の三角州で流行する風土病に過ぎませんでした。それが、イギリス軍の植民地支配による交通網の発展と、なぜか高まった毒性により、世界を蹂躙する恐ろしい疫病へと変貌を遂げました。19世紀初頭の主としてアジアにおける流行を第1次流行として、この映画で描かれているのが第6次の最後の世界的流行でした。この6次にわたる世界的流行は、世界の歴史にも大きな影響を与えており、例えば、1830年代ポーランドの独立がロシアによって踏みつぶされたのも、ポーランドへのコレラ流行によるもののようです。タジオの家族が、ポーランド人という設定は、このことに何か関係があるのでしょうか。
 コレラは、1日数リットル~10数リットルにも及ぶ致死性の下痢を起こし、人々は極度の脱水状態の中で死を迎えました(筒井康隆は、だから「ペスト」は深刻な小説になるが、「コレラ」はパロディにしかならない…と「コレラ」というパロディ小説を書いたのですが)。コレラは糞便を通じて伝染します。当時のヨーロッパの都市では下水道が完備されていても、そのまま川に垂れ流し、上水道は川の水をそのまま使い、当然塩素による消毒も行っていませんでしたから、コレラにとっては大変都合の良い環境だったのでしょう。
 さて、このように聞くと、おそらく公衆衛生の進歩がこの病気を駆逐した、あるいは、医学の進歩・抗生物質の発見がこの病気を駆逐したとお思いになる方が多いと思います。
 しかし、そうではないのです。コレラという病気は6回の世界的大流行の後、故郷のベンガル地方に再び収束しました。そして、1961年インドネシアセレベス島に発生したエントール型という新型コレラに駆逐され、とって代わられるのです。このエントール型は、現在も毎年数十万人の患者を生む現在のコレラですが、とにかくそれ以前の「アジア型」に比較すると、症状が軽いのだそうです。
 世界の歴史を変えるような疫病の多くは、新たな人々の移動に伴い(その多くは戦争や侵略)それまで風土病として地域の人々と共存していたものが、猛毒化して大規模に広がり、そして、エイズを除けば医学が何ら有効な手段を持たない中で、流行をやめてきました。その中には、梅毒やコレラのように、明らかに勝手に弱毒化したものがあります。スペイン風邪に始まるインフルエンザなども、SARSの流行までは、その1つに数えて良かったのかもしれません。確かに、病原体の方も、宿主である人間をどんどん殺していては、自分が困るという面もあります。したがって、大規模に流行した後は、弱毒化して、宿主に負担をかけないように変化した方が良いとも思えます。
 この程度は誰もが考える仮説ですが、今後、証明されていくことでしょう。いずれにしても、今後も人類は、「いずれ弱毒化する」ことよりも、「突然猛毒化する」ことに十分注意すべきでしょう。

 ところで、この映画の最後では、アッセンバッハはタジオに陶酔しながら最期をむかえるわけですが、その死に方はコレラによる死と考えると不自然で、持病の心臓疾患の発作と考えるべきのようです。
 以上、濱田篤郎「旅と病の三千年史」文春新書同「疫病は警告する」洋泉社新書の内容を全面的に参照にさせていただきました。この2冊は、本当に面白くてお薦めです。
【tilte, subtilte】

【books】
 原作は誰でもご存知のことと思いますが、これって今絶版なのです。角川書店も“メガ・ソフトウェア・パブリッシャー”を標榜すると、こんな作品は出版に及ばないということなのでしょうかね。
【videos, DVDs入手しやすさ】★★★★
 DVD、ビデオ共に、レンタル&セルされています。2005年3月にセルDVDが1500円台で発売されたので、愛好家の方はそちらがお薦めかもしれません。
 やや大きめのレンタルショップでないと置いていないかもしれません(昔からあるショップだと、ビデオだけの場合がありますが、この映像だけはDVDで見ないと駄目だと思います。できれば、劇場で見た方が良いのでしょうね)

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by harufe | 2005-07-10 10:52 | ICD A00-B99感染症及び寄生虫症

風立ちぬ(1976/Jpn)

A16 呼吸器結核,細菌学的または組織学的に確認されていないもの

【staffs】 若杉光夫監督
山口百恵(水沢節子)、三浦友和(結城達郎)、芦田伸介(水沢欣吾)、河津清三郎(結城庸平)、斎藤美和(結城ふみ)、森次晃嗣(結城真次郎)、小夜福子(三補しの)、松平健(大浦茂春)
【prises】(not worth mentioning)
【my appraise】★★+(2 plus per5)
【prot】
 太平洋戦争が激化し、世の中を暗い影が覆っていた昭和17年。外務官僚の娘水沢節子と結城達郎は、互いに密かな恋心を寄せる。出征を控え自分の心を打ち明けられない達郎は、節子の結核発症を知り、心を固める…。
 山口百恵&三浦友和文芸シリーズ第5段。
【impression】
 私は、山口百恵&三浦友和の映画、それから「赤いシリーズ」のドラマのどちらも見たことがなく、山口百恵さんの演技をみるのはこれが初めてなのですが、「意外にうまい」というのが正直な感想です。もちろん、期待しないで見た、というのが「意外性」の最大の理由かもしれませんが。とても、山口百恵の人気に便乗して作ったとは思えないくらい、まともにできあがっています。
 ひとつには、山口百恵さんが「薄倖を地で行ける」というところが良いのかもしれません。彼女はこれを地で演じられる最後の世代の最後の女優…とまで言うと言い過ぎでしょうか。まあ、「山口百恵を演じているだけ」と言われるかもしれませんし、言い意味でも、悪い意味でも、自分を演じていれば演技になると勘違いしている邦画の典型かもしれませんが。
 なお、山口百恵さん、ぷくぷくしていて、ヒポクラテスにも描かれた結核患者の「肌が白く透き通り、首が長く、ほおが紅潮し、目が大きくなってその瞳孔に光を帯びる」とは違いすぎて、とても結核で苦しんでいるように見えないです。これも含めて、戦争に向かう時代の不安や悲惨さとか、当時の時代の濃淡は描くことはできていないです。もちろん、そんなことまで拘ってとった映画ではないでしょうが。
 山口百恵の東宝文芸シリーズは、13段まであり(なんだか、いやな数でやめてるな)、第4段「エデンの海」(原作若杉慧 )以外は、全て三浦友和と共演(ちなみに、「エデンの海」は、南條豊 という「赤いシリーズ」御用達の男優と共演)。しかもテレビの赤いシリーズの6シリーズ中、3シリーズは共演と、嫌になるくらい一緒に仕事をして、更に結婚までして、まだ別れていないというのだから、たいしたものというか、なんというか…。これも含めて、むしろ、こういう人が芸能界で大活躍していたっていうのが不思議ですね。
 必見とまではとても言えませんが、見る価値はあります。

【medical view】
  百恵さん演じる水沢節子が入院した富士見高原療養所は、実在する病院で、当時、最高級のサナトリウム(結核の療養所をそう呼ぶ)の1つでした。この病院は、1926年地元の有志の出資する株式会社の総合病院(戦前は株式会社立の病院は普通だった)として、慶応大学から長野県出身の正木俊二を院長に迎えスタートし、28年に名称を富士見高原日光療養所に改め、正木の個人経営のサナトリウムにとして再スタート、36年には財団法人富士見高原療養所に組織を変更しています。
 富士見高原療養所は、この映画の原作者である堀辰雄や竹久夢二が療養していたことで有名ですが、横溝正史も一時期療養していたようです。堀辰雄は1回目の入院は自主退院しておいて、2度目は勝手に婚約者の矢野綾子と連れ添って入院をする訳ですが(綾子も結核に罹患していた)、結局、綾子は結核により当地で命を落とします。この経験をもとに、堀は「風立ちぬ」を書いたというわけです。
 この他、久米正雄の『月よりの使者』を映画化した際(1934年)、このサナトリウムを舞台としました。

 結核という病気は人類史に残る感染症の1つであり、少なくともヨーロッパにおいて、10~14世紀の天然痘、14~17世紀のペスト、15世紀~16世紀梅毒、17~19世紀の天然痘、18~19世紀の腸チフス、発疹チフス、コレラに続き、19~20世紀の主役となった感染症は結核といって良いでしょう。
 抗生物質のない時代、実に様々な妖しげな治療法が試みられたのですが、最後に、抗生物質が登場するまでの期間、治療法の主役を務めたのがこのサナトリウムだったのです。これは、田舎や海浜や高原地域に結核患者が少なかったという観察から、潮風や高原の空気が治療に効果があると考えられたためです(都会は感染が起こりやすかったというだけだと思うが)。トマスマン「魔の山」に描かれているように、欧州で「流行」したサナトリウムが、日本に持ち込まれたというわけです。
 日本の最初のサナトリウムは鎌倉、次いで須磨に作られました。つまり、最初は「海浜サナトリウム」から始まったわけですね。やがて、流行は「高原サナトリウム」にうつり、その嚆矢となったのが富士見高原療養所であったというわけです(富士見高原療養所では、日光療法も推奨されました)。
 ただ、医療保険は当然ない貧しい時代ですから、こういったサナトリウムに入れるのは、富裕層に限られました。そもそも結核という病気は、その悲劇的な予後と裏腹に、「佳人薄命」「天賦の才」「夭折」というロマンチックなイメージで語られていました(これは内外を問わずです)から、小説「風立ちぬ」も相当ハイソな舞台設定と考える必要があるのです。
 確かに文学者だけでも、結核に苦しんだのが、夏目漱石、正岡子規、森鴎外、高山樗牛、国木田独歩、鈴木三重吉、石川啄木、宮沢賢治、梶井基次郎、堀辰雄、中原中也、太宰治、新美南吉、福永武彦と並ぶのですから、結核に対するイメージも成る程と思わせます。しかし、太宰治の弟子である田中英光が、太宰のような才能を得たいと泥水を飲んでまで肺病になろうとした話とか、堀辰雄が、戦後ストレプトマイシンが入ってきても「僕から結核菌を追っ払ったら、あとに何が残るんだい?」といったという話とか(結局、堀辰雄の結核は快方に向かうのだけど)を聞くと、滑稽ですらあります。
 なお、当時の富士見高原療養所に関する資料を、北原文徳先生(長野県伊那市北原こどもクリニック:以前、新生富士見高原病院に勤務なさっていたようです)がクリニックのHPにアップしておられます。これをみると、治療成績も予想よりかなり良い水準です。これも、富士見高原療養所に入所する人たちが様々な面で相当恵まれた層にあることを示しているのかもしれません。
 富士見高原療養所は、1980年に厚生連の病院(簡単にいうと農協の病院)富士見高原病院として、現在では地域医療に貢献しており、ごく一般の方々が恩恵を受けています。富士見高原療養所については、厚生連富士見高原病院のページに詳しい解説がありますのでご覧下さい。
 なお、当時の本館が保存されており、見学することができます。私は外から見ただけで、中に入ったことがないのですけど。
【tilte, subtilte】
 「風立ちぬ」映画にも出てきますが、ヴァレリーの詩の訳とのことです。その先が、「いざ生きめやも」と続くのですが、以前から、「「生きめやも」って、頑張って生きようっていうより、生きるしかないかなあ、って聞こえるよなあ…」と思っていたのですが、このたびネット検索をしていて、私の感覚が正しかったことが確認されました。先ほど引用した北原文徳先生の文章や、トラックバック前半をお読み下さい。きっと貴方の謎もとけることでしょう。
 なお、「生きめやも」というのは、意図的な誤訳という説もあるのだそうです。ネットで探すといくつか出てきますので、ご参照を。

【books】
 原作は短編で格調高いです。が、私には好きになれません(まず、女性を「おまえ」と呼ぶのが、どうも…)。いずれにしても、この映画との落差に驚きます。

 ちなみに、今回の内容は、福田眞人氏「結核という文化」による部分が多くあります。この本は以前も紹介しましたが、とにかくお薦めです。
 それから、結核という病気、「過去の病気」とまではいかなくても、「年寄りの病気」と思っている人は多くないですか?実際には、若い人も感染しますし、しかも抗生物質が効かないやっかいな結核菌が増えているのです。若くして結核に罹患すると結構悲惨です。この当たりが書いてある斎藤綾子「結核病棟物語」が最高におもしろくてお薦めです。
【videos, DVDs入手しやすさ】★★★★
 山口百恵主演作DVDが最近DVD&レンタルリリースされて、本作もDVDレンタルされています。ただ、どのショップでも置いてあるという状況ではないようです。
【videos, DVDs入手しやすさ】★★★
レンタルはビデオのみ、置いてあるショップもまあまあ。素晴らしい映像を鑑賞するには、デラックス版のセルDVDがお薦めです。早くレンタルDVDが出て欲しいものです。

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by harufe | 2005-07-02 22:29 | ICD A00-B99感染症及び寄生虫症

震える舌(1980/Jpn)

A35 破傷風

【staffs】野村芳太郎監督
渡瀬恒彦(三好昭)、十朱幸代 (三好邦江)、若命真裕子 (三好昌子)、中野良子(能勢医師)、越村公一 (江田)、宇野重吉 (小児科教授)
【prises】
第23回ブルーリボン賞主演女優賞(十朱幸代)
第54回キネマ旬報賞主演男優賞(渡瀬恒彦)
第4回日本アカデミー賞優秀監督賞(野村芳太郎)、優秀男優賞(渡瀬恒彦)、優秀助演女優賞(中野良子)
【my appraise】★★★(per5)
【prot】
 千葉県葛西の新興団地に住む一家の一人娘昌子の風邪の症状が、なかなか治まらない。そればかりか、口を閉じたまま開けたがらず、奇妙な歩き方を始める。何度も医者にみせるが、そのたびに心配ないと帰される。しかし、つてをたどって受診した大学病院の詳しい検査で、破傷風であることが分かり、即入院となる。
 一切の刺激を避けるために光を閉ざした病室で、痙攣発作を繰り返し、幼い身体で苦しむ昌子。両親は看護に疲れ果てていく…。破傷風の恐怖を描いた映画。三木卓の同名小説を映画化。
【impression】
 幼少時に見ると、変なホラーより余程怖い。作った方も、怖がらせようと作った節がある。
 破傷風にかかった子どもの熱演ぶり(特にその苦しそうな声)も光るが、中野良子の女医ぶりが凛としていて、色っぽく、なかなかだ。渡瀬恒彦や十朱幸代は、やや深みに欠ける気がするが、それでも迫力ある演技だ。
 最後があっけないハッピーエンドになるのも、肩すかしではあるが、カタルシスも感じる。
邦画はこの頃は勢いがあった。
 聖路加病院を舞台にしており、旧病棟やガラスの点滴ビンや完全看護導入前の家族看護など、ノスタルジーに浸れます。

【medical view】
 破傷風は世界中どこでも発生している感染症。病原菌は土壌等に存在し、傷口(特に深い傷口)から感染します。嫌気性菌といい、酸素下では存在できないことから、地球の大気に酸素が少なく二酸化炭素で満ちていた太古の昔から存在していた菌ということになります(映画の説明だとなんだか分からないですよね)。
 この映画で一番疑問なのは、口が開かない、硬直感、けいれんなど、破傷風の典型的な症状が出ながら、病院で全く気づかれないところ。それどころか、症状が重くなって大学病院に担ぎ込まれても、なかなか気がつかれないではありませんか。原作が書かれたころは、破傷風の患者はそこら中にいただろうに、医学はこんなレベルだったのでしょうか?
 ちなみに、わが国では、1952 年に破傷風トキソイドワクチンが導入され、1968 年以降は、乳幼児期にジフテリア・百日咳・破傷風の三種混合ワクチン接種が実施されていますので、この映画のような悲劇は心配しなくてよくなっています。
 ところで、破傷風の抗体はワクチンを接種した後、10年くらいで消失するそうです。したがって、一定期間をおいて破傷風ワクチンを受けるべきということになります。日本では、乳幼児期で三種混合をやったあとは、小6にジフテリア・破傷風の二種混合をやるだけ。したがって、日本人の成人の多くは破傷風の抗体は消失しているということになります。
 今でも医療過疎国・地域では、外傷手当が適切でなく、医療行為で破傷風に感染する場合もあるうえに、免疫グロブリンによる治療が行われない場合が多いようです。したがって、そういった地域に渡航する場合は、予防接種が推奨されています。しかし、今での年間100名程度が破傷風に罹患し、その2~5割で死亡しているということですし、なにも海外に行かなくても、予防接種を受けておいた方が良いですよね。アメリカのTV映画「ER救急救命室」では、深い傷があると「いつ破傷風ワクチンを受けましたか」とよく聞いていることですし…。
 2005年5月、日本脳炎の予防接種が任意に切り替わりました。こういうことがあると、ちょっとだけ話題になるのが、予防接種の作用・副作用の問題と、その意義をだれがどのように判断するかということ。感染症が克服されればされるほど、予防接種のメリットは小さくなり、デメリット(副作用や費用)は相対的に大きくなります。しかし、それをどのような基準で判断するかということが、少なくとも日本では全く不明瞭なのです…。
【tilte, subtilte】
 原作のタイトルをそのまま映画のタイトルとしました。破傷風の症状を一言で「震える舌」と表したセンスがすばらしい。

【books】
 現在、原作の小説三木卓「震える舌」は絶版中です。

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by harufe | 2005-06-28 19:14 | ICD A00-B99感染症及び寄生虫症

酔いどれ天使(1948/JPN)

A15 呼吸器結核,細菌学的または組織学的に確認されたもの

【staffs】黒澤明監督
出演:志村喬(眞田)、三船敏郎(松永)、山本礼三郎(岡田)、中北千枝子(美代)、木暮実千代(奈々江)、久我美子(セーラー服の少女)、笠置シヅ子(ホール歌手)
【prises】(not worth mentioning)
【my appraise】★★★(3er5)
【prot】
 眞田は闇市の近くで開業する貧乏医者。昼間から酒をあおり、口も悪いが、シャイな性格で正義感も強い。
 ある日ヤミ市の顔役松永がピストルの創の手当を受けにやってくる。眞田は、松永の結核を疑い、治療を受けることをすすめるが、松永は全く取り合わない。強がりを言い酒と女の日々の松永だが、兄貴分の岡田が出所してくると、羽振りも落ち目になる。それに合わせるように、身体も徐々に病魔に蝕まれてくる。松永の中の汚れていない部分に共感を示す眞田は、うるさく安静を迫る…。
【impression】
 黒澤初期の傑作。宝石の原石のような作品。見て損はない。しかし、俳優のセリフが明瞭に聞こえない。全体に緊張感とテンポを与えるためなのか、滑舌が悪いのか?それとも、当時と現在と余りにしゃべる言葉が違ってきていて、聞き取れないのか?字幕をつけてほしいくらい。
 この映画で黒澤監督は初めて三船敏郎を起用し、彼に惚れ抜いて、脚本も彼の凄みが発揮できるように変更したらしい。

【medical view】
 それにしても、この時期、高価にしても、闇市場にはストレプトマイシンが相当入ってきており、松永であれば、容易に入手できたはず(ちなみに、スーパーダイエーの原点「友愛薬局」は、闇ルートの抗生物質で相当儲けた…「第三の男」みたいな話ですが…)。結核の特効薬である抗生物質を使おうという話が出てこないのは、「静かなる決闘」と同様、不可思議な設定。
 おそらくは、黒澤独特のヒューマニズムを描くために、リアリティや設定を犠牲にする手法と思われる。これは、「静かなる決闘」で、すでに梅毒が治療が容易な病気になっていたというのに、治癒困難な前提で創られたのに似ている。
 この当たりは、リアリズムと設定に厳密にしつつ、描きたいことを描くためにはリアリティを歪めるという、黒澤らしいといえば黒澤らしい手法。これが凡庸な監督に受け継がれると、予算のために設定やリアリティを犠牲にする、という日本映画の悪しき伝統となってしまっている。

 それにしても、最後に「理性があれば病気なんて怖いことはない」と、セーラー服の久我美子に言わせる説教臭さは好きになれない。理性があって安静にしていたって、抗生物質がないところでは、結核は治るってのは無理があります。
 ただ、結核の死亡率は、抗生物質が一般に使用される以前から急速に落ちています。これは栄養状態の改善といった公衆衛生上の改善によるものと考えられ、一人の患者の治療に勝るとも劣らない公衆衛生の意義として、よく語られます。
【tilte, subtilte】

【books】
【videos, DVDs入手しやすさ】★★★★
 レンタルDVDが比較的最近リリースされましたが、置いていないショップも多いです。以前からあるレンタルビデオはどこでも置いてあるでしょう。

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by harufe | 2005-06-22 11:52 | ICD A00-B99感染症及び寄生虫症